座敷童子や河童など、お馴染みの妖怪たちが登場する『遠野物語』。その説話集のもとになった遠野地方に伝わる数多くの昔話を、地元のことばで語ってくれるのが遠野の「語り部」の女性たちです。今回は、この語り部さんを現地に訪ねてお話しをお伺いしました。

遠野のことばで語る昔話こそ郷土の大切な宝

かつて遠野の家々では、「むがすあったずもな(昔あったそうな)」で始まる昔話が、親から子へ、子から孫へと、自然に語り継がれていました。ところが、高度成長期以降、テレビなどの娯楽や情報があふれかえるようになり、昔話を聞かせてくれと親たちにせがむ子どもなど、どこにもいなくなったのです。

そんななか、昔話の伝統を守ろうと活動しているのが、語り部の女性たちです。その一人、昭和19年生まれの工藤さのみさんは、畑仕事をする母や囲炉裏端でくつろぐ祖父から、たくさんの昔話を聞いて育ちました。一方、彼女が自分の娘に昔話を聞かせたことは一度もありません。そんな工藤さんが人前で昔話を語ろうと思い立ったのは、ひょんなことがきっかけでした。

子育てを終えた工藤さんがバスガイドの仕事に復帰したのは45歳のとき。当時の観光バスはカラオケとビデオ鑑賞が全盛の時代でした。「せっかく旅行に来たのに、こんなことで時間をつぶしていちゃ、もったいないべな……」と、うろ覚えの昔話を披露すると、これがびっくりするほどお客さんに受けたのです。

遠野のことばで語る昔話こそ郷土の大切な宝だと直感した工藤さんは、仲間を募って遠野物語研究所に通い、指導者の下で4年間勉強。平成11年から市内の空き家店舗を利用して、観光客などに昔話を聞かせる「語り部」の活動をスタートしたのです。

遠野物語 「河童淵(かっぱぶち)」

観光名所のひとつ、カッパ淵。遠野駅から5㎞ほど

むがす(昔)あったずもな。

土淵の新屋という家の裏に深い淵があったど(と)。

ある夏の暑い日、その家のわげもの(若者)が

馬っこの足を冷やしてやろうと淵へ連れて行ったが、

そのまんま遊びさ行ってしまったど。

したば(すると)河童が出て来て、

馬っこ、淵さ引っ張り込もうとしたんだど。

馬はたまげて、逆に河童を引きずったまま、馬屋さ飛び込んだど。

今度は河童の方がたまげて、馬の舟(飼い葉桶)がっぱり

引っ繰りげって(返して)、その中さ隠れたど。

家の人たちは、

「なんたら馬騒ぐべ、こんなに早ぐ帰って……」

と、不思議がって馬屋をのぞいて見たど。

したば、馬の舟からぺっこな(小さな)手っこ見えたど。

開けて見たっけ河童だったど。

集まって来た村の人達は、

「この河童、いつもいたずらして、ろくでねえがら殺してしめぇ」

って言ったけど、

ほだども(でも)、よく見たら、その河童は手っこ合わせていたったど。

この家の主人は、むじょやな(かわいそう)と思って、

「これからは、ここでいたずらすんなよ」

って、許すことにしたんだど。

河童も言うこと聞いて、

そこから遠く離れた相沢の淵の方さ行ってしまったんだどさ。

どんどはれ(これでおしまい)。

語り部さんたちの語りで得体の知れない物の怪や妖怪たちが目の前で躍動しはじめる

「文字にすると濁点ばかりで、なにがなんだかわからないでしょ(笑)」

工藤さんのおっしゃるとおり、遠野の昔話は文字で読んだだけでは本当の面白さは伝わりません。正直なところ柳田國男の名著『遠野物語』も、最後まで読み切ったことのある人は意外と少ないかも知れません。

ところが、語り部さんたちの語りとなると心癒やされるようなやさしさがあり、聞き手の心に響いてゆきます。たとえ意味のわからない方言が混じっていても、身振りや表情を見ていればストーリーは十分理解できるでしょう。そして、河童や座敷童子、天狗や山女……といった得体の知れない物の怪や妖怪たちが目の前で躍動しはじめるのです。

河童にまつわる伝説は遠野だけでなく、日本各地にあり、呼び名もいろいろ。遠野駅前に建つ河童像はちょっと恐ろしげな表情をしている(右)。
河童淵近くの伝承園では、昔の暮らしが垣間見られます。

工藤さんたちが学んだ遠野物語研究所では、テキストはいっさい用いませんし、指導者が教えるのも物語の背景のみ。ただひたすら先輩が語るのを聞くだけといいます。

だから、同じ昔話でも語り部によって場面の描写や展開が違ってくることも珍しくありません。「私は附馬牛という郊外の村で育ちましたが、後藤さんは遠野の町育ち、奥寺さんは盛岡からお嫁に来た方です。都会の人には同じ遠野弁に聞こえるかも知れませんが、じつは3人とも、ことば遣いやアクセントが微妙に違っているんですよ」

聞いて、覚えて、それをまた誰かに伝えてゆく……。口承伝承はもっとも原始的な情報伝達の手段でありますが、文字として固定されたものではありません。ある意味、いまも変わり続ける生き物のようなものといってもいいのでしょう。

遠野の昔話のもうひとつの決まり文句は「どんどはれ(これでおしまい)」。「どんど」は夜なべ仕事で膝の上などに落ちる藁くず、「はれ」は「払え」が訛ったもの。夜なべ仕事も、昔話も、そろそろ切り上げて、藁くずをきれいに払って「さあ寝ましょう」ということなのです。

昔話の世界にたっぷりと浸れる「とおの物語の館」。写真の展示物は手で触れると、物語の題材の影だけが動きだす仕掛け。

民話の語りとともに今も生き続けている遠野の懐かしい風景

遠野市郊外の田園地帯にぽつんと建つ「山口の水車」。この集落も『遠野物語』に収録された昔
話の舞台として何度も登場します。
遠野の「テンデラ野」。テンデラは姥捨伝説などがあり、遠野の厳しい暮らしをイメージさせる。
周辺にはのどかな風景が広がる。遠くに見えるのは早池峰山。
この地域独特の「曲り家(まがりや)」は母屋と馬屋をL字型に一体化した住居。
JR釜石線が宮守川と国道283号をまたぐ「めがね橋」。土日などを中心にSL銀河が年間80便運行される。

『遠野物語』とは?

日本民俗学の発展に貢献した柳田國男の名著。柳田國男が明治43年(1910年)に発表した説話集。遠野出身の小説家・民話蒐集家、佐々木喜善(きぜん)の協力により、遠野地方に伝わる昔話が109話収録されています。妖怪や山人、死者にまつわる話から、神事や怪奇談まで、そのジャンルは多岐にわたります。

とおの物語の館

昔話の世界を見て、聞いて、学べる。

語り部による昔話を聞ける「遠野座」の他、『遠野物語』の世界を実体験できる展示スペース「昔話蔵」、柳田國男が滞在した宿を利用した「柳田國男展示室」などもある文化施設。

所在地:〒028-0515 岩手県遠野市中央通り2-11

アクセス:遠野駅から約05Km 徒歩8分 駐車場:40台

問い合わせ:0198・62・7887

https://tonojikan.jp/kanko/mukashibanashi.php

取材・文: 佐々木 節 Takashi Sasaki

編集事務所スタジオF代表。『絶景ドライブ(学研プラス)』、『大人のバイク旅(八重洲出版)』を始めとする旅ムック・シリーズを手がけてきた。おもな著書に『日本の街道を旅する(学研)』 『2時間でわかる旅のモンゴル学(立風書房)』などがある。

写真: 平島 格 Kaku Hirashima

日本大学芸術学部写真学科卒業後、雑誌制作会社を経てフリーランスのフォトグラファーとなる。二輪専門誌/自動車専門誌などを中心に各種媒体で活動中しており、日本各地を巡りながら絶景、名湯・秘湯、その土地に根ざした食文化を精力的に撮り続けている。