

神の使い・眷属(けんぞく)として、日本各地で今もなお崇め奉られる「狼信仰」を辿る。
写真・文 : 青柳健二 Kenji Aoyagi
三峯神社の分霊社
前回は、宮城県の村田町歴史みらい館企画展「再び、オオカミ現る!」について触れたが、「東北地方の狼信仰」(同企画展)によると、大きく分けて3つの系統があるという。三峯信仰、山津見信仰、そのほかの山神信仰に分けられる。
その中のひとつ、秩父の三峯神社を総本山とする三峯信仰は、北は東北地方や北海道、南は四国地方にまで広まった。「三峯神社の分霊社一覧 新潟県・東北地方・北海道」(同企画展)には衣川三峯神社を含めて52社がリストアップされている。その中には立派な社殿を持ったものもあれば、石碑だけ残っているものと様々だ。
また、『三峯山誌』(明治39年(1906))によれば、福島県に12講社、宮城県に6講社、山形県に6講社があった。そのほか三峯講は、北は北海道の礼文、南は徳島県の辻町にもあったという。三峯神社がこれだけ広範囲で影響力を持っていたというのは驚きだ。

狼は祟り神として恐れられていた。
東北の中で、江戸時代に正式に分霊された唯一の神社が、岩手県奥州市に鎮座する衣川三峯神社だ。世界遺産の平泉中尊寺本堂から北西1.5kmほどのところに位置し、東北の狼信仰の中心になった神社である。江戸時代中期の享保元年(1716)3月、総本山・三峯神社から分霊勧請された。
ここは馬産地で、狼が馬を襲う被害が多発していた。被害は深刻だったので、名馬を贈り、信者を引き連れて必死でお願いして三峯神社から分霊してもらったといわれている。
つまり、ここでは秩父と違って狼は益獣どころか害獣だった。むしろ祟り神として恐れられていた。狼を狼で封じようとしたのだろうか。

護符には、左向きに座った一頭の黒い狼の姿が
衣川三峯神社の石段を上ると、鳥居と両脇に控える狼像が現れる。狼像とはいうものの、姿は丸みを帯びた犬のようだ。しかし近づいてよく見れば、口の中には牙があり、脇腹にはあばら骨の表現も施されていて、たしかに犬ではなく、いわゆる「狛犬」とも違う狼像であることがわかる。
社務所で「お犬さまのお札を頂きたいのですが」と頼むと、「おおかみですが、いいですか?」と聞かれた。もちろん「はい」と答えた。「秩父では「お犬さま」と呼んでいます」と私が付け加えると、「ここでは大口真神。おおかみと呼んでいますね」とのこと。お札(護符)には、「三峯神社 御守護」とあり、左向きに座った一頭の黒い狼の姿が配されている。

旧暦で行われている衣川三峯神社の例祭
東北地方では江戸の中頃から明治大正時代にかけて、簡単にお参りできるよう、各地に分霊として木造の小社、石製の祠が作られ、「三峯山」や「三峯大権現」などと彫った石碑も立てられたという。分霊社は、太平洋側に多く、日本海側には少ない傾向がある。これらの小さな三峯神社は、ここ衣川三峯神社から分霊されたものも多いようだ。
ところで衣川三峯神社の例祭日が、旧正月19日、旧3月19日、旧9月19日(総本山・三峯神社でお犬さまに供物を捧げる神事「御焚上」の日は10日と19日)と書いてあったので、そのことについて社務所で尋ねると、この3祭日ともに、今も旧暦でやっているそうだ。
もともと神事や祭りは、月の満ち欠けを基にした旧暦で行っていたので、新暦に直せば、その意味の半分が失われてしまうといえるかもしれない。だからまだ旧暦で行われている衣川三峯神社の例祭は本来の意味を残した祭りなのだ。
遠野物語拾遺の71に「三峰様=狼の神」が登場
柳田國男の『遠野物語』で知られる遠野にもいくつか三峯神社が鎮座する。『遠野物語拾遺』の71話と73話に、「三峰さま」が登場する。「三峰様というのは狼の神」だ。
土淵町の雑木林の中に社があり、狼像が2体納められていた。狼像は高さが20㎝くらいの小さなものだったが、牙の様子もわかり、けっこう怖い姿の狼像で、今まで見たことがないタイプだ。
管理をしている人によると、この三峯神社を勧請したのは、3代くらい前の先祖で、埼玉県秩父から勧請したような話を聞いているそうで、奥州市の衣川のことは、聞いたことがないという。しかし、ここで狼は「おおかみ」と呼び、「おいぬ」も「おいの」もいわない。あくまでも「おおかみ」だ。そこは衣川と同じなので、本当のところどうだったかはわからない。
『遠野物語拾遺』の71話にあるのは、栃内の和野の佐々木芳太郎という家で、誰かに綿カセを盗まれたことがあったそうで、その犯人捜しのために衣川から三峰様を借りてきて、暗い奥の座敷に祀り、村人がひとりひとり拝みに行くのだが、ある女は手足が震え、血を吐いて倒れた。そして女は盗んだものを村人の前に差し出したという。

狼信仰には盗難除けのご神徳も
狼信仰には、盗難除けのご神徳もある。現代なら「なにをばかな」ということになるだろうが、当時は三峰様のご神徳を信じていたので、犯人は、恐ろしくなり、自ら盗みを認めたということなのだろう。あるいは、真犯人ではなくても、三峰様のご宣託ということで、女が犯人に仕立てあげられ、村のいさかいをこれ以上大きくしないために、女は犠牲になったのかもしれないが。
この話でも、三峰様(御眷属)は衣川から借りてきている。だから狼像が護る三峯神社も、衣川から勧請されたのかもしれない。
管理人は、毎年、大晦日には、掃除をして、お神酒、餅、油揚げ、生卵、みかんなどをお供えし、しめ縄も新しいものと替えているという。今でも大切に祀られていることに心動かされる。
宮城県加美町の三峯神社には可愛い狼像が
もう一社、宮城県加美町の三峯神社には、ネットで見てずっと気になっていた狼像が納められている。今まで出会った狼像は、どちらかというと、眼光鋭く、体が引き締まった野性味たっぷりの、どことなく恐ろしい像だったが、これは随分と雰囲気が違った。要するに可愛い狼像なのだ。
小さな三峯神社の社は、運動公園の横で、用水路が流れている道沿いにあった。たぶん湾曲した道は旧道なのだろう。
高さ約25㎝ほどの白っぽい木像2体が納められている。耳がふたつピーンと立って、たたずまいも奥ゆかしい。大小夫婦のように寄り添った狼像だが、素朴な木彫りに温かみを感じた。
