武士は二本差しが義務だった。闘わない刀は自己表現の意味を持ち、柄にも凝ったのだ。そのために関わる職人は腕を競った。そのなかで一番地味なものが柄巻師の仕事であった。

日本刀の完成には、多くの伝統工芸職人が関わっている

いずれ紹介することがあるだろうと思うのだが、日本刀の完成までには沢山の伝統的な手業の職人が関わっている。刀を打つのが刀鍛冶。それを白鞘に収めておくだけでも、「研ぎ師」がいて、ハバキという刀を鞘にきちんと収めておく金物を作る「白銀師」、そして鞘を作る「鞘師」がいる。白鞘というのは休み鞘といわれるが、通常は「拵え」という侍達が腰に差して持って歩いた。それは漆塗りの鞘だったから、通気性が悪いために刀に錆が出たりする。そのために、刀を休ませておくのが白鞘である。ヤクザ映画で白鞘の刀を手に殴りこみをかけるのは、いささか不思議な姿なのである。

本来の刀の姿は拵え(こしらえ)である。漆塗りの鞘に下げ緒がつき笄や小柄が差し込まれ、鍔や柄(つか)が備わって完成する。このために日本の伝統工芸職人が総動員されている。

こうしたなかで一番地味な柄巻師の話を今回は紹介する。

滑りを止め、美しさを誇る

柄は刀を抜くときに手をかけ、闘うときに握り、斬りつければ、一番負担が掛かる部分である。この部分だけを作る職人を「柄巻師」という。この部分だけでもいくつかの職人から成り立っている。

構造順に言えば、一番下は柄下地と呼ばれる朴の木で作られる。二枚の板で、茎(なかご)と呼ばれる刀の根本の部分を挟み込んで固定するようにできている。茎には目釘穴と呼ばれる穴がある。朴の木の下地にも同じ位置に穴があり、ここに竹の目釘を差し込んで固定している。下地は「鞘師」が作る。

柄巻師はこの下地の上に和紙を貼る。補強の意味とその上に着せる「鮫」の皮を貼ったときに美しく見えるようにでもある。鮫と呼ばれているが、実際は東南アジアで獲れるエイの仲間「トリコン・セフェン」という種類の皮である。

この皮には小さな粒々があり、1匹に1カ所だけ親粒という大きな粒がある。その親粒が表にくるように着せる。舶来品の贅沢な素材であったが、柄を丈夫にし、滑りを止め、美しさを誇るために重用されたのである。

武士は見栄っ張りだった

刀には表と裏がある。腰に差したときに外側に来る方が「表」で、差し表という言い方をする。刀は刃がついた側を上向きに差す。展示会では刃を上に並べてある。そして太刀と呼ばれる腰に下げる(差さない)種類の刀は逆に刃を下に展示する。この展示のとき見える側が表である。

武士達は結構見栄っ張りだった。表側には鞘でも柄でも格好良い面を持ってくる。鞘や鍔を特注し、柄にも工夫や意匠を凝らした。刀を何振りも拵えられない侍は、鞘だけ二種類作った、出かけるときに鍔を別の物にした。

エイの皮は茶色をしていたので、これを真っ白にしたり、柄に使えるように磨き上げて柄に着せる仕事は、昔は「鮫着せ」という専門の職人がいた。親粒が面にくるように柄に着せる。貼るのはごはんをつぶした糊「そくい」である。

今は柄巻師がこの仕事も引き受けている。作業としては鮫を着せると紐を巻いていく。

柄巻糸は絹の組紐で、これを作るのは「組紐師」。簡単に巻いてあるように見えるが、一旦巻き上げた柄は、そのまま100年は持つ。それ程丈夫で、しっかりした巻き方なのである。他にも柄には様々な小物がついている。

鍔よりのところに柄縁、柄の端に柄頭、これは牛などの角でできている。この製作者もかつては一つの職業であった。そして柄の真ん中辺に目貫という金や銀の細工物が据えられている。花や動物など意匠に凝った彫金で、「彫金師」の仕事である。

柄巻師はこれらの物を折り込みながら、柄を絹の組紐で巻いていくのである。

柳生心影流の使い手は柳生柄

握った柄は打ち込みのたびに捻れたり、衝撃で引っ張られたり、押されたりする。それに耐えるにはクッションが効き、元に戻る力が働かなくてはならない。

自転車の荷台に箱を載せ、紐で結わえれば、衝撃の旅に緩んでしまうが、ゴム紐で結わえれば、しっかりと止まっている。紐も微かには伸び縮みするが、ゴムのような役割を担うのは無理である。結びは捻りを入れたりさまざまあるが、菱形を順に作っていくのが基本である。あの菱形の紐の下に細かくたたんだ和紙が押し込まれていて、クッションの役をしているのである。柄巻は古くなったり、擦れて1カ所が切れても全てがほどけるということはない。そのように結んである。松脂を塗り、滑りを止めながら、ぎっちりぎっちり巻き込んでいく。どこから始まり、どこで終わっているか、わからない不思議な巻き方である。

巻き方にはルールがあった。柳生心影流の使い手は柳生柄という巻き方があった。目貫は通常は表は鍔寄り、裏は頭寄りなのに、柳生柄は反対である。示現流の本家薩摩には薩摩柄というのがあり、目貫を用いない。これらの差は、流派ごとに刀を使う上での合理性に基づき、武士としての心構えを表したものである。それ故に柄を見れば、所属や流派、持ち主の考え方がわかった。柄は持ち主の顔なのである。

日本の職人の魂が

刀が武器であった時代から江戸時代に入ると、制服のような意味合いが強くなってくる。武士は二本差しが義務だった。闘わない刀は自己表現の意味を持ち、柄にも凝ったのだ。

そのために関わる職人は腕を競った。現代は柄巻師を専業とする人はほんのわずかしかいない。現代刀の拵えは少ないから、古い時代の再現や修復、新しい柄のまき直しなどで生計を立てている。柄巻きはそれだけでも鑑賞の対象であり、愛好者がいるし、コンクールの部門もある。そこには伝統的技と知恵が集約されている。刀の展示を見る機会があったら、柄巻にも注目してもらいたい。日本の職人の魂が見える。

文: 塩野米松 Yonematsu Shiono

1947年生まれ。秋田県出身。東京理科大学理学部応用化学科卒業。作家。アウトドア、職人技のフィールドワークを行う。一方で文芸作家としても4度の芥川賞候補となる。絵本の創作も行い、『なつのいけ』で日本絵本大賞を受賞。2009年公開の映画『クヌート』の構成を担当。聞き書きの名手であり、失われ行く伝統文化・技術の記録に精力的に取り組んでいる。主な著書『木のいのち木のこころ』(新潮社)、『失われた手仕事の思想』(中央公論社)、『手業に学べ』(筑摩書房)、『大黒柱に刻まれた家族の百年』(草思社)、『最後の職人伝』(平凡社)、『木の教え』(草思社)など多数。