令和改元以来、万葉集が見直されています。ライフワーク「天上の虹」をはじめ、「万葉の時代」を数多く描かれている漫画家の里中満智子さんに、その時代の魅力をお聞きしました。
里中満智子
漫画家。1948年1月24日大阪生まれ。1964年(高2)に『ピアの肖像』で第1回講談社新人漫画賞受賞、デビュー。代表作に『あした輝く』『アリエスの乙女たち』『海のオーロラ』『あすなろ坂』『狩人の星座』『天上の虹』など多数。2006年に全作品及び文化活動に対し日本漫画協会賞文部科学大臣賞受賞。2010年文化庁長官表彰受賞。日本漫画家協会常務理事/マンガジャパン代表/NPOアジアマンガサミット代表/大阪芸術大学キャラクター造形学科学科長/内閣官房知的財産戦略本部員等。
万葉の時代は「ゆるさ」がありました。民主主義の発祥はこの「ゆるさ」から生まれたと言ってもよいでしょう。
世界史の中で、精神、文化、哲学としての民主主義の発祥は、千三百年前、飛鳥万葉の日本にある―そんなことをいうと、大げさだとか、それは違うとか、笑われたりしますけど、私はそう思うんです。
そのころ日本は、国際的に独立国として認められようと、法律を整え、都を造り、独自の歴史書を編纂し、国としての体裁を整えようとしていました。当時の世界では、国家は男性のもので女性の政治参加は無理というのが常識でした。ところが、日本ではそうでもなかった。男女別という概念がゆるい。そして国家がそのスタイルを確立しようという時に、まさにユルユルの歌集、万葉集が編まれたのです。天皇も、罪人も、今で言うホームレスも、同列に扱われた歌集。当時の国際社会の常識からみればなんとけじめのない、だらしない国だという謗りを受けかねない、すきだらけです。国際社会の仲間入りをしたいと言いながら、こんなユルユルの歌集を作ってしまう、私はこれが日本人の本質じゃないかと愉快になるんです。
古事記の世界では、物事が命令ではなく合議制で決められているんです。
同じ頃、外交的に作られた歴史書とは別に、自分たちの言葉で書かれた国の始まりの物語、古事記では、実に女性が強いんですね。男性は肝心なところで腰抜け、しょっちゅう女に怒られている。女性が太陽神(これもとても珍しい。女性は月に例えられることが多いので)で、一番しっかりしている。しかしその最高神が、天上世界で何をしているかというと、「下でなにが起こっているのかしら、誰か見てきてちょうだい」、「では誰を行かせましょう」と、命令ではなく合議制で決めているんです。
出雲と大和の間の国譲りの物語にしても、国の歴史を書くなら、相手をこてんぱんにやっつけて、どれだけ自国が強いかを歴史に残したがるのが普通なのに、話し合いで譲っているんです。私はそれがとても不思議に思えて。でも、そういう土台、そして歌集にしても歴史書にしても、それを残してきた価値観こそ、日本人のいい意味でのゆるさであり、だからこそ独自の文化、自由な発想を生み出してきた。それは自信を持っていいと思います。
私が大切にしている日本
里中満智子さんが大切にしている3つのことをお伺いしました。
①万葉集
第一は万葉集です。戦後男女同権と言われながら、男だから、女のくせにという社会通念が残っている。日本男児は泣くもんじゃないというけれど、万葉集では恋の悲しみや、未練を男性が、正直に歌い上げている。それに驚いたのが中学生のころ、それからだんだん気づいて行くんですが、天皇と政治犯の歌が同列に扱われ、恋する女性の意志が高らかに歌われている。人々が身分の差なく心を求める。千三百年前、世界のどこに、これだけの、同じ教養を男女,身分の差なく共有しているところがあったでしょう。素敵、素晴らしい、すごいと思います。
②古事記
日本書紀は漢文で書かれた外交用の歴史書ですね、当時の中国に対し、国家としての体裁を証明するものです。その一方で、やまと言葉で書かれた古事記は荒唐無稽だと言われますが、少なくとも当時の人々がそうありたいと思っていたことが書かれているはずなんです。太陽神が女性の天照大神というのも、当時女帝だったからという政治的ファクターを説く人もいますが、それだけではないと思います。女性の真の強さと、男性の実は弱い部分が書かれている。また排泄物の再利用の記述がやたらと多い、今でいうオーガニックですね。ありとあらゆるものから、ありとあらゆるものが産まれることを説く。そして決定的な破壊がない、やはりゆるゆるなんです。
③日本語
万葉集は、現在も広く読まれています。そのまま読むことができるのです。つまりこれは日本語が日本語であり続けたからです。そして漢字、片仮名、平仮名、ローマ字など、新しいものが入ってきても、昔からの表記も捨てることなく、それぞれを工夫しながら、ニュアンスの違いをうまく伝えようとしている。縦書きも、横書きも可能だから目的、質に応じて使い分けられる。
最後まで聞かないと肯定か否定か分からないといわれる文章形態も、話しながら考えて、うまく落としどころをみつけようという、また相手の言い分に最後まで耳を傾けるという美徳を生み出している。争わないですむ方法も実はその辺りの、つまりいい意味でのゆるさにあるのではないでしょうか。