外国人が日本の家は木と紙と竹で出来ていると言ったとか。
ちょっと観察が足りない。土も大事な要素だった。

どこの家にもあった蚊帳が消えた日。

蚊帳(かや)というものがあった。麻の細かな目で編んだ大きなカゴのようなものだ。底はない。部屋の中で使うものだ。四つ角を長押(なげし)や柱に掛けて吊(つる)して、中に布団を敷いて眠るのだ。カヤツリグサという植物はこの形に似ているので付けられた。

蚊帳は部屋の大きさに合わせて、8畳用、6畳用などがあった。どうしてこんなものを使ったかというと、蚊が多かったからだ。スプレー式の殺虫剤などではとても追い払えない。蚊取り線香も使ったが、それでも無理。蚊のいない空間を作るには、蚊帳でも吊って中に入っているしかなかったのだ。

昔は空調などという発想がないから、家は開放的なほど涼しいと考えて作られていた。窓や廊下はどこの家でも開けっ放しで、虫も蚊も自由に出入りしていた。日本の家屋は夏対策の家だ。南の民族が移動してきた名残ではないだろうか。ちなみに私は昭和22年の生まれで、育ったのは秋田県の角館。夏は開けっ放しで、寒い冬はまわりを囲えばいいと、みんな考えていた。

蚊帳は青や白に染められていて一見涼しげだった。しかし、大きな麻織りの虫かごの中にいるようなものだから、風は入りずらい。なので団扇(うちわ)を使いながら眠ったものだ。

捕まえてきた蛍を蚊帳の中に放しておくと、幻想的に点滅して夢に誘ってくれた。風流なものであった。

扇風機が普及し、空調設備が整い、窓がサッシになり、衛生の考えが定着、世の中が清潔になった。ボウフラの育つ場所がなくなって、蚊が少なくなり、どこの家にもあった蚊帳が消えてしまった。それで困った職業がある。

壁屋さんである。

漆喰壁がなかったら、五重塔も地震で倒れていた。

外国人が、日本の家は木と紙と竹で出来ていると言ったとか。ほぼ合っているが、ちょっと観察が足りない。土も大事な要素だった。

法隆寺や薬師寺の宮大工の棟梁だった西岡常一(にしおか・つねかず)氏が、壁について教えてくれたことがあった。

「法隆寺が1350年も持ったのは、木の癖を読み、それを生かす技を持った大工がいたからだと言われていますが、壁も大事なんでっせ。あの白い漆喰壁(しっくいかべ)は見た目や風よけじゃないんです。あれは大事な構造材なんです。漆喰壁がなかったら、五重塔なんか地震ですぐに倒れておったでしょうな」

漆喰壁の下には木舞(こまい)という割った檜や竹が組まれている。細かく縦横に組んだ木舞をワラ縄や麻縄などで結んでいく。この仕事を「木舞を掻(か)く」という。今では見かけなくなったが、専門にこれをする「えつりや」という職業があった。それだけ壁が当たり前にあったのだ。

木舞を組み終われば、そこに下塗りの壁土を塗り、中塗りをし、白い漆喰で仕上げる。

そんなもので、建物を守れるかと思うかもしれないが、壁の土には秘密がある。ワラを刻んで足で踏んで、練り上げ熟成させるのである。それを繰り返し、理想的には3年は寝せるとか。ワラが腐り、発酵し、強力な粘着力を持つ。土は田圃(たんぼ)から持ってくる。既に稲穂や茎が入っている土だ。十分発酵したものに、またワラや、反古(ほご)ぼ和紙(いらなくなった和紙)をちぎったもの、麻紐をほぐしたものなどを混ぜて塗り込む。この混ぜものを「スサ」という。

木舞の格子の間に潜り込んだ壁土は裏側までまわり、乾くとしっかり食い込み、剥がれることはない。下塗りも中塗りも仕上げも、それぞれ少しずつ質の異なるスサを入れ、乾くのを待っては何度も塗り重ねていく。スサが塗り込まれることで乾いたときのひび割れを防ぐのだ。

壁の中に蚊帳が。

土壁の最大の敵はひび割れである。主に土を水で捏(こ)ねたものだから乾燥すればひび割れる。昔はじっくり割れるだけ割れてこれ以上いかないというまで待って次の塗りをやった。だから仕上げまで10年もかかるというのはざらにあった。中塗りのまま暮らし、婚礼などの前に仕上げたのだ。

今はそうはいかないので、さまざまな物を塗り込んで補強してひび割れを防ぐ。

壁の部分には貫と呼ばれる横の構造材が入っている。この部分は壁土の食い込みが薄くなる。そこでしっかり周囲とつながるように、ステンレスの釘に麻苧(あさお=麻糸)を結わえた「ヒゲコ」というものを打ち込んで、麻苧を一本ずつ広げたり、麻布を伏せ、塗り込んだ。

ここで役に立ったのが、古い蚊帳だったのである。古い家の解体の時に壁を剥がしていくと、しっかりと食い込んだ蚊帳が出てきて、その強さで、作業者達を驚かせるという。 昔は左官屋に「古い蚊帳は要らないか」と聞いたものだったし、左官屋も喜んで譲り受けた。蚊帳がなくなった今は新しい寒冷紗(かんれいしゃ=荒い平織りの布)が使われている。

このほかに、柱や梁に接する部分は「チリ」というが、壁が乾いたり、柱が乾燥して縮んだときに隙間が出来ぬように、柱に打ち付けた「暖簾(のれん)」や「チリトンボ」(ドジョウ籠)などを使う。柱から丈夫な繊維が出て壁に塗り込められるのだ。こうして仕上げられた壁は、柱や梁、貫(ぬき=水平材)などと柔軟さを持って組み合い、構造材として十分な役を果たせるほど強固になるのである。

薬師寺西塔が再建されたときに、使った木材の重さが318トン、瓦が91トン、壁が71トンだったという。いかに壁の重量が多いかわかる。壁はそれだけの役目を担っているのだ。

文: 塩野米松 Yonematsu Shiono

1947年生まれ。秋田県出身。東京理科大学理学部応用化学科卒業。作家。アウトドア、職人技のフィールドワークを行う。一方で文芸作家としても4度の芥川賞候補となる。絵本の創作も行い、『なつのいけ』で日本絵本大賞を受賞。2009年公開の映画『クヌート』の構成を担当。聞き書きの名手であり、失われ行く伝統文化・技術の記録に精力的に取り組んでいる。主な著書『木のいのち木のこころ』(新潮社)、『失われた手仕事の思想』(中央公論社)、『手業に学べ』(筑摩書房)、『大黒柱に刻まれた家族の百年』(草思社)、『最後の職人伝』(平凡社)、『木の教え』(草思社)など多数。