江戸は、男社会が生んだ町とも言え、便利さでは現代も顔負けのコンビニエンスな町だったといえます。ここでは、その代表のファーストフード「屋台」と現代の宅配便とも言える行商人の話をします。
文 : 武正秀治 Hideji Takemasa / 絵 : 森義人 Yoshitoshi Mori
外食フード四天王と濃口醤油の誕生
外食フードビジネスは、高い男性比率が生んだ江戸デザインです。ターゲット・ユーザは肉体労働者。江戸中期、外食フードの四天王として「蕎麦・寿司・天ぷら・うなぎ」が大ヒットしました。
これらに欠かせないのが「濃口醤油」。上方風薄口醤油に代わる、江戸っ子好みのパンチの効いた味付けです。外食隆盛の背景には、このころ始まった野田や銚子での濃口醤油の生産がありました。
外食フードビジネスの始まりは屋台
屋台には担いで売り歩くタイプ、屋根付きの固定タイプの二つがありました。蕎麦が前者で、寿司・天ぷら・うなぎが後者です。
夕暮れから深夜まで肩に担いで売り歩いたという蕎麦屋台は、棒の両端に背丈半分の高さの荷箱を担いで売り歩きます。前後の荷箱には、火種、湯、器、蕎麦などを巧みに収納、機能的でコンパクトなデザインです。
屋台から始まった店舗形態は、程なく小屋掛けや通常の店舗へと展開していきます。
あらゆるものを売り歩く江戸の行商「棒手振り」
江戸のの朝は、行商人の威勢のいいかけ声で始まります。食べ物の貯蔵が出来ないので、毎日売りにくる新鮮な野菜や魚を買っていました。食品だけでなく、箒や竿竹、ザルなどの生活用品や薬品、草花、虫、金魚など、ありとあらゆるものが売り歩かれていました。
家にいると、必要なものを持った売り手が向こうからやってきてくれるのですから、現代より、コンビニエンスな暮らしだったといえます。
夜鷹蕎麦と風鈴蕎麦
屋台食が定着したころ、夜鷹と呼ばれた街娼が急増、蕎麦屋台の常連となりました。このため「夜鷹蕎麦」と呼ばれるようになります。しかし、メニューがかけ蕎麦のみ、器が汚いなどと評判は最悪。小咄にこんな一説があります。
仕事を終え、空腹を訴える夜鷹蕎麦のおやじ。女房が「そんなにお腹が空いてるんだったら、売り物の蕎麦を食べたらいいさ」と言うと、「こんな汚ねぇもん、食えるかってぇんだ」とおやじ……。
なにかと不評の「夜鷹蕎麦」との差別化のため、軒下に風鈴を吊るした「風鈴蕎麦」が登場します。清潔な食器、豊富なトッピング・メニューで人気を博しました。屋根付き固定タイプのほか、当初の屋台形態も存続し、それぞれ繁盛しました。
親ばかを揶揄する言葉に、「親ばかチャンリン、蕎麦屋の風鈴」という表現があります。「親ばか」とは子供可愛さのあまり、欠点を見過ごしたり、過大評価することの意。そういうトンチンカンな親と、冬空に風鈴を鳴らして歩く様子を重ねた言葉なのです。