妖怪とは闇に蠢く気配や、自然に対する畏怖、心の不安などを背景に想像されたと言われています。時には怖ろしく、時にはユーモラスに、人々の暮らしの様々な場面に登場します。ここでは、妖怪研究家&蒐集家の第一人者である湯本豪一さんのコレクションを元に、この奥深い日本の妖怪の世界に皆様をお招きします。
今回は与謝野蕪村が描いた「蕪村妖怪絵巻」です。
文 : 湯本豪一 Yumoto Kōichi / 協力 : 湯本豪一記念 日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)
Keyword : 蕪村妖怪絵巻 / 与謝蕪村 / 芭蕉翁行脚怪談袋 / 京都府宮津市 / 限定復刻絵巻 / 古屋敷の化け猫
蕪村が描いた妖怪絵巻
俳諧の大家として知られる与謝蕪村は絵にも非凡な才を発揮して、その作品のなかには国宝や重要文化財も存在するほどです。そんな蕪村が妖怪絵を描いていたと言うと驚く人も少なくないのではないでしょうか。今回はその蕪村が描いた妖怪絵巻を紹介したいと思います。「蕪村妖怪絵巻」という題名からも蕪村が描いた妖怪絵巻ということが一目瞭然ですが、このタイトルは最初から付いていたわけではありません。それどころか当初は絵巻でさえなかったのです。
一時期、蕪村は宮津(現在の京都府宮津市)の寺に寄寓していましたが、その時に欄間に貼られていたのが蕪村の描いた妖怪絵といわれ、後年にそれらを纏めて絵巻としたと伝えられています。それがいわゆる「蕪村妖怪絵巻」なのです。もし、絵巻という形にしていなかったら後世に伝えられることがなかったかもしれません。そう考えると幸運にも散逸せずに伝えられたということができます。
作品の多くは行方不明に
しかしこの絵巻は安住できる運命ではありませんでした。詳しい理由はわかりませんが現在行方不明となっているのです。わが国の文化財は幕末維新期に少なからず海外に流出していることは周知の事実です。しかし、この絵巻がその時代に行方不明になったわけではありません。なぜならば、昭和3年に限定復刻されたものが現在まで複数残っているからです。
ここに紹介したものもその限定復刻されたなかの一つです。前回まで紹介した絵巻はいずれも肉筆のオリジナル作品でしたが、そういうことからも例外的といえます。しかし、博物館や美術館での妖怪展などでもこの限定復刻絵巻はよく展示されます。それはオリジナルでなくとも面白い内容であるとともに蕪村が独特の飄逸な筆致で描いた妖怪作品として紹介するに値するものだからなのです。行方不明となったことは残念ですが、復刻されていたのは不幸中の幸いといえるでしょう。
古屋敷の化け猫
さて、前置きが長くなってしまいましたが蕪村妖怪絵巻にはどんな妖怪が描かれているのかを見てみたいと思います。
図は榊原氏の古屋敷の化け猫です。鉄砲で退治しようとしていますが、化け猫はそれを挑発するかのように手ぬぐいを被って馬鹿にしたような顔つきで立って踊っています。化け猫の左側には化け猫が喋った言葉が書かれていますが、「おれの腹の皮をためしてみおれ、にゃんにゃん」と鉄砲で狙っているのを意に介していません。右側の詞書によると、撃った弾丸ははじかれてしまったとのことです。
蕪村独特のタッチ
もう一つの図は小笠原氏の屋敷に泊った林一角坊という法師が、夜が更けてきたころに大勢で踊っているような音が聞こえるので襖を開けてみると小さい赤子が集まって騒いでいたという内容です。
ほかにも、家に憂い事が起こりそうな時に現れる遠州(現在の静岡県)の夜泣き婆、山城(現在の京都府南端部)のまくわ瓜の化物、大坂木津の西瓜の化物など全部で8つの妖怪譚が絵巻に収録されています。これらは蕪村があちこちで聞いた話を自分のイメージで描き、その脇に短い文章を記してどんな怪異譚かを説明しているといったスタイルです。
どの妖怪からも怖い感じは受けませんが、これも蕪村の絵のタッチから醸し出されるこの絵巻独特のものなのでしょう。
芭蕉翁行脚怪談袋
ところで、蕪村と同様に俳諧の巨匠として誰もが知っている松尾芭蕉が各地を行脚した折に聞いた怪談をまとめた『芭蕉翁行脚怪談袋』という写本も存在します。この写本には絵は添えられていませんが、旅を住処としていた芭蕉だからこその作品といえるでしょう。蕪村や芭蕉といえばほとんどの人が俳句を思い浮かべると思いますが、妖怪という視点から見てみるのも一興ではないでしょうか。