妖怪とは闇に蠢く気配や、自然に対する畏怖、心の不安などを背景に想像されたと言われています。時には怖ろしく、時にはユーモラスに、人々の暮らしの様々な場面に登場します。ここでは、妖怪研究家&蒐集家の第一人者である湯本豪一さんのコレクションを元に、この奥深い日本の妖怪の世界に皆様をお招きします。
文 : 湯本豪一 Yumoto Kōichi / 協力 : 湯本豪一記念 日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)
有名な妖怪がいくつも収録された妖怪図鑑的版本の嚆矢(こうし)
この連載ではいくつもの絵巻について紹介してきましたが、今回は江戸時代に刊行された妖怪本の紹介です。江戸時代には妖怪をテーマとした多種多様な妖怪本が出されています。絵と文章でストーリーが展開される通俗的内容を主とした草双紙といわれるタイプの本もその一つです。表紙の色から赤本、黒本、青本、黄表紙などに分類され、何巻も収録した合巻と呼ばれるものもあります。
草双紙には人間臭くて怖くない妖怪たちが登場しており、人気を博しました。また、妖怪を主題とした狂歌を集めて絵を添えて編集した狂歌本、何話もの妖怪譚を収録した百物語本などがあり、妖怪を描いた豆本なども存在します。
こうした中で、図鑑のように何種類もの妖怪を一つ一つ紹介した妖怪図鑑的な版本も刊行されています。今回紹介の『画図百鬼夜行』もそうしたもので、もっとも知られています。その理由は妖怪図鑑的版本の嚆矢であり、有名な妖怪がいくつも収録され、その後の妖怪絵にも影響を与えているからです。では実際にどのような妖怪本なのでしょうか。
作者は絵師の鳥山石燕。喜多川歌麿の師匠でもある
『画図百鬼夜行』が出されたのは安永5(1776)年のことで、作者は鳥山石燕という絵師です。鳥山石燕といっても馴染みない人もいると思いますが、弟子には美人画で有名な喜多川歌麿がいます。石燕は『画図百鬼夜行』を刊行した後も『今昔画図続百鬼』『今昔百鬼拾遺』『百器徒然袋』といった妖怪本を次々と出しています。
『画図百鬼夜行』は「陰」「陽」「風」の3巻から構成されており、全部で52種類の妖怪を収録しています。図はその一部で、「しょうけら」「ひょうすべ」「飛頭蛮(ろくろくび)」「見越」「ぬらりひょん」「元興寺」です。1ページごとに一つの妖怪が描かれ、それぞれの妖怪には名前が付されているスタイルからも妖怪図鑑となっていることがお分かりいただけると思います。
しかし、この編集には少し物足りなさを感じる人もいるのではないでしょうか。妖怪に詳しい人ならば問題ないのかもしれませんが、一般の読者にとっては妖怪の名前だけでなく、どんな妖怪なのかも記してほしいと思うに違いありません。そういう面では不十分な妖怪図鑑ともいえるでしょうが、最初の妖怪図鑑という試みを考えれば仕方のないことともいえるでしょう。
妖怪の解説を入れることで妖怪図鑑の確立を見る
ところで、『画図百鬼夜行』は3巻として刊行されたと書きましたが、もともとは6巻本として出される予定だったことが序文に書かれています。3巻分の原稿が完成したので、先ずは3巻本として刊行されたということです。ですからその3年後の安永8年に出された3巻と合わせて完結ということなのですが、安永8年の本のタイトルは『今昔画図続百鬼』となっています。
「続」という表現からも『画図百鬼夜行』の続編といった意味が読み取れます。しかし、『画図百鬼夜行』と『今昔画図続百鬼』との間には編集方針の大きな変更をみることができます。その変更とは『画図百鬼夜行』にはなかった妖怪についての解説を入れていることです。これによって誰にでも興味を持って見てもらえる妖怪図鑑が確立したといえるでしょう。
妖怪本にも様々な工夫が
『画図百鬼夜行』刊行から60年以上経過した天保12(1841)年に『絵本百物語』(別名「桃山人夜話」)が刊行された。全5巻で45種類の妖怪を紹介している妖怪図鑑的版本ですが、この本は描かれた妖怪絵について『画図百鬼夜行』との特徴の相違がしばしば指摘されています。
それは『画図百鬼夜行』が古くから伝わっている妖怪絵などを参考にして描かれたのに対して、『絵本百物語』は妖怪譚だけは伝えられているものを収録するに際して新規に妖怪絵を描き起こすという方法を採用しているのです。また、『画図百鬼夜行』の絵は墨一色だったのに対して『絵本百物語』は多色刷となっています。時代を経るに従って妖怪本にもさまざまな工夫がされて来、たということでしょう。
ここに記した妖怪本はいずれも文庫本として出版され、現在でも入手することができます。機会がありましたらご覧いただければと思います。