葛飾北斎の版画「神奈川沖浪裏」に描かれた波の先端の動きは、
現代科学を駆使して測定したところ、8,000分の1秒の静止画像と解明された。
北斎はいかにしてその姿を肉眼で捉えるこのが出来たのであろうか・・・
伊豆の海岸で押し寄せる波頭を見る度に、そんな想いが脳裏をかすめる。
富士を捉える構図の基本は、「冨嶽三十六景」の中に全て含まれていると私は考える。
北斎の描く屹立とした富士の姿は、驚くほど簡素であり、かつ雄弁優美である。
美しい稜線をまとい佇むその存在感は、
まさに風景版画に広がる小宇宙を、竜の眼のごとく引き締める。
写真・文 : 岳 丸山 Gaku Maruyama
富士山伝説
雲見海岸から富士山までは直線距離で約80km離れている。そんな遠隔の地に面白い富士山伝説が残されている。それは雲見浅間神社にまつわる物語であり、全国でも良く知られた伝説上の人物が多く登場する。一部を紹介しよう。
雲見浅間神社の祭神は、大山祗命(おおやまずみのみこと)の娘、磐長姫(いわながひめ)である。
大山祗命には二女があって、姉妹とも賢く大の仲良しであったが、どうしたことか姉は醜く妹は絶世の美女であった。
天孫瓊瓊杵命(てんそんににぎのみこと)は旅の途中で二人の娘に出会い、妹の木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を愛でて妃としたが、磐長姫は疎んじられたのを悲しんで雲見に隠れ住み、仲良しだった姉妹も互いに憎しみ合うようになってしまった。
後に磐長姫は雲見の浅間神社に祀られ、木花咲耶姫は富士山の浅間大社に祀られたが、雲見が晴れれば富士山が曇り、富士山が晴れれば雲見が曇ると言われ、雲見の浅間神社で富士山を褒めると祟りで高い崖の上から海中へ突き落とされるという。また、雲見の里人は富士登山を決してしない習わしだそうだ。また、磐長姫を祭神とする神社は全国で7箇所あり、京都の貴船神社神社もその一つである。
<注釈> 貴船神社は、本宮、中宮、奥宮の祭神がそれぞれ異なり、磐長姫命は、中宮(ゆいやしろ)の祭神として祀られている。