風光明媚な長野県には、歴史と伝説に包まれた数々の古道があります。このシリーズは、実際にその古道を一つ一つ訪ね、そこに綴られた物語をお伝えするものです。今回は、江戸の五街道の中でも、最も昔の姿をとどめる木曽路です。緑深い山間の街道筋に軒を連ねる家々、人里離れた路傍には風雨で傷んだままの石仏や道祖神、里も野も潤いに満ちて詩情豊か、かつては旅人泣かせの二つの峠越えも今では爽快なトレッキングコースになっています。
木曽路の旅、第1回目は、木曽路の入り口から人気の奈良井宿までの旅です。「是より南 木曽路」の碑を過ぎるといよいよ山深く、贄川の関を過ぎれば木曽漆器の郷平沢で、一軒一軒の店構えや看板に伝統工芸の粋がうかがわれます。次の奈良井では、どこまでも続く古い家並みに“奈良井千軒”といわれた昔の賑わいが偲ばれます。

取材・文・写真 : 藤沼 裕司 Yuji Fujinuma

Keyword :

木曽路の入り口から奈良井宿

藩境、両藩とも役人をおいて監視を強化

江戸時代、木曽谷一帯は徳川御三家の一つ尾張藩領になっていました。これは木曽の豊かな森林資源を掌握するためで、その支配は、北は現在の塩尻市南西部の桜沢にまで及び、集落外れの奈良井川支流に架かる橋が松本藩との境界と定められました。それに基づき橋の東側には松本藩、西側には尾張藩によりそれぞれの領地を明示する杭が立てられていました。

それからだいぶ時代が降った1940年(昭和15)に、土地の有志により尾張領側に入った奈良井川右岸に「是より南 木曽路」の石碑が立てられ、以来ここが木曽路の北の入り口として広く知られるようになりました。

木曽路の石碑

江戸から32番目の宿、本山宿

木曽山脈の北端はこの碑よりさらに北に派生して松本平の南限にまで達し、江戸から来るとこの辺りから木曽の山懐に入ることになります。その平野が尽きて登りにかかるところにあるのが本山宿で、1614年(慶長19)にこれまでの下諏訪~小野~桜沢ルートが廃され塩尻峠越えに変更されたことにより成立しました。

その後、松本藩ではここを藩境に近い木曽路の入り口として重視し、荷改めの口留番所を設けていました。

本山宿は江戸から32番目の宿で南北582m、本陣脇本陣各1軒に旅籠34軒、山間で耕地に乏しいため里人の多くは旅人相手の仕事や山稼ぎに従事しました。またここはそば切り発祥の地といわれ、「そば切りは本山宿より出でてあまねく国々にもてはやされける」「街道筋に蕎麦屋の看板多し」などと古くからさまざまな文献で紹介され、大名への進物としても用いられました。

現在の本山は中央本線開通時に少し南の日出塩に駅ができたため賑わいを失い、宿場内は人影もまばらで静まりかえっています。それだけに往昔の面影をよくとどめ、道の両側に全面千本格子の2階部分を道路側にせり出させた出梁(だしばり)造りの古民家が軒を連ねて訪れる人をいにしえの旅路に誘います。

その家並みを注意してみると、道路に面して各家横一線に並んでいるのではなく、ここでは1軒ごとに道路から少しずつ後退させて鋸歯状に家屋を配置しています。通行する側からはこの後退部分が死角になりますので、城下町では伏兵を忍ばせたりしますが、ここでも何らかの防衛上の意図があってのことと思われます。


本山宿の家並み。家屋の並びは道路に沿って横並びでなく、1軒ごとにずらしている。いずれも国の登録有形文化財。


贄川宿へ

ここから南へ、木曽路の碑を過ぎてなおも南へたどると贄川宿(にえかわじゅく)にいたります。贄川から馬籠宿(まごめじゅく)までにある11の宿場を“木曽11宿”といい、いずれも本陣脇本陣各1軒、この先いよいよ山深く木曽路の核心部に入ります。江戸時代、ここでは旅籠25軒を数えましたが数度の火災で町並みは失われ、今では北の入り口に復元された贄川関所に昔を偲ぶばかりです。

関所は尾張領北の抑えとして、通行人改めや木曽ヒノキなど藩統制品の持出しの監視にあたっていました。勾配のゆるい板葺屋根を置き石で抑えた建物には、付近の出土品を展示する木曽考古館も併設されています。

中央西線贄川駅舎。

贄川関所。

民芸調の家並みが続く工芸の町、木曽漆器の平沢集落

贄川宿と次の奈良井宿との間にある平沢地区は、江戸時代は両宿の間宿(あいのしゅく)でしたがヒノキ細工や漆器の生産で生計を立てる工芸の町でもありました。漆器生産は木曽福島から技法が伝えられ、奈良井で盛んでしたが、その後ここが主産地になり、明治に入り重ね塗りの技法を考案して飛躍的な発展を遂げました。1975年には国の伝統的工芸品に選定され、現在も住民の8割ほどが漆器関連の仕事に従事しています。その町並みは南北に約850m、通りをはさんでどこまでも漆器店が続きます。

町並みの形成は1749年(寛延2)の大火後で、道筋が湾曲しているため尾張藩により建物を後退させて通りとの間に約1mの空きを設けることが義務づけられました。これにより一部に建物の並びが一律でない鋸歯状の家並みが形成され、通りの景観に奥行きをもたせています。

各家屋の配置は道路に面して主屋が建ち、通路の奥に中庭と作業場としての塗蔵(ぬりぐら)があります。塗蔵は湿度や温度を一定に保つことができ、紫外線や埃の入らない堅固な土蔵造りで2階は乾燥室になっています。

通りに面してはさすがに工芸の町らしく、各店それぞれ看板や入り口のちょっとした意匠にまで趣向が凝らされ、町並みに民芸調の味わいを添えています。通りの北外れには木曽漆器館があり著名作品の展示や制作関連資料の公開など、また木曽くらしの工芸館では漆器をはじめ各種木工品の展示販売を行っています。例年6月はじめにはここを中心に木曽漆器祭が行われ、200前後の漆器店が勢揃いして大いに賑わいます。2006年(平成18)には奈良井宿とは別に、塩尻市木曽平沢重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

吉勝漆器店とかく丸漆器問屋。

平沢、右から柏屋常左衛門漆器店、吉勝漆器店、かく丸漆器問屋。

道中屈指の宿場町、森林資源を生かした木工芸の郷奈良井宿

平沢集落の外れから奈良井宿までは2㎞弱、歩いても30分ほどです。ここはかつて“奈良井千軒”といわれ、11宿の中でも最も賑わった宿場でした。国道が宿場を外れて通されたため、今なお当時の町並みがそのまま残り、江戸の昔に逆戻りさせられたような錯覚さえ抱かせられます。

幕末の史料では、家屋数409軒は中山道中の信濃26宿でもっとも多く、総人口2155人は上松(あげまつ)に次いで11宿中第2位、旅人相手の宿場稼業も盛んでしたが、恵まれた森林資源を生かした曲げ物や指物、漆器製造などの地場産業でも発展しました。

町並みは奈良井川沿いに南北に約1㎞、両方の入り口には侵入者の直進を阻む桝形が設けられ、北から下町、中町、上町の3地区に分かれます。建物の多くは江戸後期の出梁造りで間口に対して奥行き深く、各家の構成は通りに面した主屋を入ると小さな中庭があり、その先に付属屋や土蔵と続きます。主屋はだいたい2階建て、1階の一方を通り土間にしてそれに沿って3~4室、付属屋は2~3階建てというのが標準で、表からは窮屈そうに見えても内部にはゆとりがあります。

奈良井の建物で特徴的なのは“猿頭の鎧庇(さるがしらのよろいびさし)”といわれる軒庇です。鎧庇とは一枚板ではなく4~5枚の板を段状に重ね合わせて庇として取り付けたもので、重ね合わせ部分がずれないように切れ込みを入れた縦材を等間隔に敷いて押さえ、2階柱を支点に吊り金具で固定しています。

猿頭とは縦材の通りに面する下側断面に何やら猿の頭部を思わせるような細工が施されているためで、このような民家の意匠は中山道中でも珍しく、ここでしか見られません。

町の北側を占める下町は、かつては漆器製造に関わる職人の町で、そう広くはない通りをはさんで間口の狭い家並みが続き、今でも漆器店が並びます。

■住民の地道な努力で守られている文化遺産としての町並み

しばらく行くと道が広くなり中町に入ります。ここはかつての中心で本陣脇本陣がおかれ、江戸初期から公用の人馬を管理する問屋を務めた手塚家住宅や旅籠として使われた原家住宅などが昔のままに残っています。

手塚家は古文書や生活具を展示する上問屋(かみといや)史料館として、原家は店舗に資料館を併設して一般に公開されています。

その先で道は鍵の手になり右に90度、さらに左に90度曲がって上町に入ります。ここは塗り櫛の製造に従事する人たちが住んだ町で、その創始者だった中村邸が公開されています。櫛問屋としての建物は鎧庇をはじめ典型的な奈良井の民家様式をよくとどめ、以前神奈川県川崎市の日本民家園への移住が決まりかけていましたが、旧楢川村あげての反対運動により貴重な遺産の喪失を防ぐことができました。

重要伝統的建造物群保存地区に選定されたのは1978年で、旧宿場町のほぼ全域が含まれています。住民の間ではこれに基づいて保存のためのルールが定められ、特に増改築や新築に対しては町並みとの調和を主眼にしたさまざまな基準が設けられています。人々は町の美化にも心を配り、早朝から箒を手に通りに立ち、6カ所ある水場も大切に守られいつも勢いよく水をあふれさせています。

1㎞に及ぶ町並みが終わるのは六つ目の宮の沢の水場のところで、脇には高札場が復元されています。その先の桝形を出ると、スギ木立の中に奈良井の鎮守で天正年間(1573~91)にここに移された鎮(しずめ)神社が建ち、境内の一画には宿場で使われた品々や民俗資料を展示する楢川歴史民俗資料館があります。そこを過ぎると、いよいよ薮原宿へ向けての鳥居峠への登りが始まります。

奈良井宿北入り口近くにわずかに残るスギ並木。江戸から来る旅人はここを通って宿場に入った。

中町の家並み。

中町の家並み。

上町の家並み。

鎮神社より。