壊れた器を漆と金粉で修復する「金継ぎ」。その技術は、匠の美意識から芸術作品にまで高められています。今回は、この金継ぎ技法を現代に受け継ぐ秀敏信さんを訪ねました。

金継ぎは、瑕疵をアートの域にまで高める数寄者(すきしゃ)の技

金継ぎ(きんつぎ)は金繕い(きんつくろい)ともいい、壊れた器を再利用できるように修復する技法ですが、単に以前の状態に復元するのではなく、美意識を働かせて鑑賞の対象になるような芸術作品として仕上げるために行います。

作業としてはまず漆で破損部を繋ぎ合わせ、それから金粉を蒔いて仕上げの装飾を行いますが、その工程でいかに繋ぎ目に残る傷跡のラインを美的に表現できるか、ここに作者の感性、創造力が求められます。修復した傷跡を“景色”といいますが、傷跡が“景色”として生かされることで器は新たな価値を与えられ蘇ります。

日本には古くから漆を利用する文化があり、東京都東村山市の下宅部(しもやけべ)遺跡では発掘遺物の中から漆に泥や植物繊維を混ぜ合わせて接着した器が見つかり、4000年前の縄文後期にすでにこのような技術が普及していたことを明らかにしています。

割れる前のひびさえも修復できるのは秀さん独自の技。工房には美しく金を施された器たちが誇らしげに並ぶ。

工芸としての成立は室町時代で、茶の湯の隆盛とともに発展しました。茶の湯が盛んになるにつれ名物茶器への執着、愛蔵熱が高まり、茶人の器を愛おしむ心や風流心が金継ぎを芸術の域にまで高めました。

金継ぎの名品の一つとして知られる作品に、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の「雪峰」(せっぽう)があります。光悦は安土桃山期から江戸初期に活躍した芸術家で茶の湯をはじめ諸芸に精通し、「雪峰」はあえて器の破損部を目立たせながら純金蒔絵を施して雪のイメージを表現した作品です。

金継ぎの技法は今日に継承され、専門の工房もあります。それに頼るばかりでなく素人でも取組みは可能で、教室に通うとか一般向けのハウツー書でも学ぶことができ、必要な材料や用具も市販されています。自身の手で、自身の感性で日ごろ大切にしている器を蘇らせることができれば、いっそう愛おしみも深まり独自の美の世界も開けることでしょう。

この金継ぎ技法を現代に受け継ぐ、日本最古の磁器の町・有田に隣接する武雄町で、親子2代に渡って金継ぎを生業とする秀敏信さんを訪ねました。(文・藤沼祐司)

穴の開いた水差しを、漆と蒔絵で壺に生まれ変わらせた。 趣味で手掛ける遊び心ある金継ぎは、すぐ買い手がつく。

直すことで再び、自分だけの一点物を手にすることができる。

お父さまが戦後、常滑で漆の仕事に携わったのをきっかけに、佐賀県で同じ漆を扱う金継ぎを始めたという秀さん一家。有田に隣接することもあり、かつては美術商に頼まれることが多かった修復の仕事が、ここ数十年で少しずつ一般家庭からの依頼が増えているといいます。

「本当に気に入っているものをずっと持ち続けたいと考える人や、おじいさん、おばあさんが大切にしていた遺品を直したいという方が増えてきました。一昔前の、大量生産して使い捨てるという時代から変わってきているのかもしれませんね」

時代の流れもあれば、秀さんならではのコストの低さも、普通の人が金継ぎを頼める理由のようです。小さな傷なら、1500円くらいからお願いできるのだそう。「樹脂や代替漆など、現代の材料でコストダウンしているんです。口伝てに広まって全国から依頼が来ますね。直したものを届けた後、お礼の手紙で喜んでいただけたのを知ると、本当にやりがいを感じます」

「傷に逆らわないのが美しい」と、傷以上に漆を塗らないよう、細い筆で正確に漆を塗る秀さん。

秀さんの作業台。自宅の一室を工房にし、息子さんと二人で作業している(左)。割れと穴を修復し終えた飯碗。

傷をあるがままに受け止めて施す。金継ぎが、最も美しくなる。

地道で正確さが問われ、時間もかかる金継ぎ。しかし、秀さんは、金継ぎは施す方も面白いと語ります。

「傷には一つとして同じものがありませんから。割れや穴、欠損などいろいろありますが、それをどうやって元の姿にしてあげようかと考えるのは楽しいですね」

とはいえ、欠損してしまった部分はどうするのでしょう。実際に、口が折れた花瓶なども届くようです。

「昔の器なら、ほとんどの形が頭に入っているんです。古い陶片の手持ちで合うのがあれば、〝呼び継ぎ〞といって違う器で同じ形にすることもあるし、樹脂で作ることもあります。また、私自身も焼き物を焼くので、簡単なものならパーツを焼いてしまうこともありますね」

想像する金継ぎの領域を遥かに超えた技術で、器をあるべき姿に戻す職人の技。金継ぎで器の格が上がることもあるといいますが、作業のときそこも意識するのでしょうか。

「景色を良くしようとして手を加えるとかえっておかしくなるんですよ。割れや欠けの上に塗る漆や金粉も、できるだけ細い方がいい。あるがままの傷が、不思議と一番美しいんです。結果、その景色を持ち主が気に入ったら器も持ち主も幸せですね」(インタビュー文・舟橋愛)

秀 敏信(ひで・としのぶ)さん

日本最古の磁器の町・有田に隣接する武雄勇町で、親子2代に渡って金継ぎを生業とする。樹脂や代替漆を使い、失ったパーツさえ復元できる腕には定評があり、日常の器の他、博物館の美術工芸品の修理も行う。現在、息子の子歳(しとし)さんが3代目として修業中。