風土記や記紀神話に記された神の地を巡ると、陽光の輝きや清涼な水の流れや木霊する木や苔むす岩など、原生の自然の中に存在する万物に、私たちの祖先は神の依代(よりしろ)を見出してきたことを知る。それを核として神殿が築かれ、神域が整えられていったと思えてくる。
神社には、神話から続く歴史と伝統に基づいた風景が脈々と受け継がれている。その風を肌に受けつつ神々の杜を訪ねると、神が鎮座する無限空間からは、歴史と日本文化が香り立つようだ。(石橋睦美)
写真・文 : 石橋睦美 Mutsumi Ishibashi
身震いするほどに恐怖感が迫ってくる
津軽半島の中程にある十三湖は、砂州で日本海と隔たられた汽水湖である。ただ一カ所だけ砂州が途切れ海へ注ぐ口があって、その周辺にシジミ漁を営む漁師の家があって軒を連ねている。
ここは中世の頃は砂州の最も奥まったところにあたっていた。湖水が海へ注ぐ口は砂州の反対側にあって、住みやすい場所であったらしい。そこは歴史の彼方に霧散した安藤一族が屋敷を構えたところでもあった。当時は十三湊と呼ばれ、大陸との交易が盛んに行われた。だがいま、その痕跡を見いだすことはできない。日本海から吹き付ける寒風に運ばれる砂塵に埋もれ、跡形もなく消え去った。
十三湖の湖岸に沿って回り込んでゆくと、山王坊日吉(ひえ)神社の入り口に到着する。そこから神社へは、田圃の縁に付けられた細い車道が導いてくれる。神域は山岳修験の趣を残していると言われ、訪れてまず驚くのは鳥居の異様さだ。深紅に彩色された鳥居は、両端が反り上がった笠木の上にもう一段、三角形の笠木を乗せている。これを山王鳥居と言って、山岳修験を象徴させているのだと言う。
もうだいぶ以前になる。この神社を三度目に訪れた時の空気感は忘れられない。早朝の澄んだ空気が神域を包み込んでいて、夜間に降った雨の名残が杉木立ちを濡らしていた。山王鳥居を潜ると、見慣れた朽ち果てそうな木造りの小さな鳥居が奥院へ導くように幾つも立ち並んでいる。その様子は中世に十三湊を基地として繁栄した、安藤一族の盛衰を物語っているようにも感じられる風景であった。
ただ山王日吉神社と、安藤一族との関わりを示す伝承は確認されていない。奥院の手前の沢沿いに苔むした小さな平地があって、かつて拝殿が建っていた時代を懐かしむが如く、礎石だけが残存しているのが物悲しい。夏草が茂る神域には古の素朴さが漂っていて、山王鳥居に象徴されるように謎を秘めた気配が伝わってくるのである。
そんな雰囲気を醸し出す山王坊日吉神社だが、祭神は大山咋命である。しかし参道から出外れたところに、苔むした岩が隠れるようにあるのを知る人は少ない。岩は堆積した黒土から少しだけ露出しているだけなのだが、おそらくこの岩が土着の神の依り代ではないかと思われる。前に立って拝すると、身震いするほどに恐怖感が迫ってくるのである。