一説によると、日本にはおよそ2万7000もの温泉(源泉)があるといいます。しかも、湯の成分や温度、湯量などは千差万別で、どれひとつとして同じ温泉はありません。
こうしたバラエティに富んだ日本の温泉の中には、大勢の観光客で賑わう有名温泉地もあれば、知る人ぞ知るといった雰囲気の鄙びた湯宿もあります。
かつて、「秘湯」と呼ばれる温泉のなかには、本格的な山登りをしないと辿り着けなかったり、電気もガスもなかったり……という正真正銘の「秘湯」もありました。しかし、時代の変化とともに最近ではびっくりするほど快適に過ごせる秘湯も少なくありません。
ここでは誰もが気軽に大地の恵みを楽しめる極上の秘湯を紹介します。

1000年以上の歴史をもつ「日本三美人の湯」

重畳たる紀伊半島の山並みに囲まれた龍神温泉は、川中温泉(群馬県)、湯の川温泉(島根県)とともに、古くから「日本三美人の湯」のひとつに数えられてきました。泉質はナトリウム炭酸水素塩泉で、ラジウムを豊富に含んでいることが特徴。体についた余分な皮脂を落としてくれるので、湯上がりには肌がすべすべになるのです。

この龍神温泉の歴史は非常に古く、8世紀初頭、修験道の開祖・役行者によって湯が発見されたとされています。また、平安時代初期に弘法大師・空海が難陀龍王の夢告げによって開湯したという伝説もあり、そのことから龍神温泉と呼ばれるようになりました。

日高川のせせらぎを聞きながら湯浴みを楽しめる完全予約の露天風呂

紀州の殿様が惚れ込んだ泉質のすばらしさ

紀伊山中の秘湯でありながら、龍神温泉の名が広く知られるようになったのは、江戸時代から紀伊和歌山藩の手厚い保護を受けたためです。なかでも初代藩主、徳川頼宣公は龍神温泉の湯をいたく気に入り、藩費で浴舎や宿を整備したほか年貢も免除しました。この上御殿は、歴代藩主が湯治に訪れる際に利用した宿で、頼宣公ゆかりの客室「御成の間」などがある木造2階建ての本館は国の有形文化財に登録されています。

江戸時代の面影を残す本館は国の有形文化財に指定されている。
山菜や川魚、鹿肉や牡丹鍋など、紀伊山中ならではの山の幸をたっぷりと味わえる

槇でしつらえた落ち着いた雰囲気の内湯

上御殿には男女別の内湯と貸切で利用する露天風呂があります。このうち内湯は男湯、女湯ともに湯船や床板が紀州特産の槇(まき)で作られていて、木の香を感じながら気持ちのいい湯浴みができます。また、日高川を眼下にする露天風呂では、渓流のせせらぎや野鳥の声を聞きながら、龍神の豊かな風景も味わうことができるようになっています。 このほか館内には紀州・徳川家にまつわる品々も数多く残されているので、上質で心地よい湯とともに歴史のロマンを楽しんでみるのもいいでしょう。

檜より高価な槇を贅沢に使った内湯。
左上/江戸時代の雰囲気を伝える客室。頼宣公ゆかりの御成の間にも宿泊することができる。左下/快適なドライブを楽しめる高野龍神スカイライン。右/弘法大師・空海が開いた真言宗の聖地・高野山へも簡単に足を延ばすことができる

取材・文: 佐々木 節 Takashi Sasaki

編集事務所スタジオF代表。『絶景ドライブ(学研プラス)』、『大人のバイク旅(八重洲出版)』を始めとする旅ムック・シリーズを手がけてきた。おもな著書に『日本の街道を旅する(学研)』 『2時間でわかる旅のモンゴル学(立風書房)』などがある。

写真: 平島 格 Kaku Hirashima

日本大学芸術学部写真学科卒業後、雑誌制作会社を経てフリーランスのフォトグラファーとなる。二輪専門誌/自動車専門誌などを中心に各種媒体で活動中しており、日本各地を巡りながら絶景、名湯・秘湯、その土地に根ざした食文化を精力的に撮り続けている。