長く複雑な海岸線から、内陸の山岳地帯まで、高低差も大きく変化に富んだ地形の島国・日本。それぞれの環境に合わせ、さまざまな樹木が組み合わさって、多種多様な森林を形成しています。ここでは植生の違いを中心に分類しつつ、ぜひ訪れていただきたい、魅力あふれる森をご紹介します。

森林が蓄えた水が尾瀬ヶ原や尾瀬沼を豊かに

もう20年以上も前になる。全国の森を巡ってみよう。そう決めて各地の森を歩きだした。それより以前、山歩きに夢中だった若い頃、よく訪れていた尾瀬へも久しぶりに足を向けてみた。ただ歩くコースは、尾瀬の核心部にあたる尾瀬ヶ原や尾瀬沼ではない。燧ケ岳中腹に茂る森林帯である。

尾瀬は新潟・福島・群馬の三県にまたがる広大な山域で、只見川源流を成す尾瀬沼と尾瀬ヶ原は景観がこよなく美しい。特に尾瀬ヶ原は悠久の歳月をかけて出来た高層湿原で、貴重な植物相が育まれている。しかし尾瀬の素晴らしい自然環境は、周囲の山稜を覆う森林があってこそ生まれたのである。森林が蓄えた水が尾瀬ヶ原や尾瀬沼を満たしたことを忘れてはならない。

キタゴヨウの巨樹

只見川流域のブナ林

登山口は、燧ケ岳の北側中腹の御池

福島県側の御池[みいけ]は標高千五百メートルの台地で、桧枝岐村から只見川上流へ下る峠になっている。現在では国道352号線が通っているが、往時、檜枝岐村の村人は徒歩でブナ平を辿り御池の峠路を越えて、只見川上流に開鑿した小沢平[こぞうだいら]の出作り畑へ通った。そんな生活道の途中にある御池は、同時に尾瀬沼の畔りを通り、上州沼田へ至る沼田街道の分岐点でもあった。さらに尾瀬の森林を探訪するに最適な燧裏林道は、燧ケ岳の北側中腹を横切る歩道で御池が登山口となる。

御池のクロべの巨樹

上田代の燧裏林道

標高を上げるに従って異なった風景が

森の探勝が目的の山旅だから、燧裏林道を歩いてみた。どんよりした曇り空の朝であった。小さな湿原を過ぎると、クロべやトウヒ・アオモリトドマツなどが茂る常緑針葉樹の森を行くようになる。季節感が乏しい亜高山帯針葉樹林と思われがちだが、ハウチワカエデやダケカンバなどが混生しているから意外に季節の装いは感じられる。歩き出してしばらくすると雨が降り出してきた。次第に雨は強くなって、樹幹を濡らすようになった。雨水は森に生命力を漲らせる要素なのだ。クロべの赤褐色の樹肌が濡れ映えて、乾燥している時とはまったく違った風合いを見せてくれる。

燧裏林道は常緑針葉樹林に囲まれたいくつかの湿原を通り過ぎて、少しずつ標高を上げてゆく。晴れていれば平ヶ岳を望むことができる西田代を過ぎると道は下り気味なり、いつしか林相は常緑針葉樹林からブナ林に変わる。それまでは針葉樹が放つ香りと、葉の密集によって薄闇が生じる重厚感を味わってきた。がブナ林では、葉の重なりによって日差しが乱反射する明るい雰囲気に浸ることになる。雨脚はどんどん激しくなって、三条の滝への分岐を過ぎる頃には道もぬかるんできた。しかし、森歩きの楽しさは雨の日に限る。木々が放出する湿った空気を吸い込むと心が清涼感に満たされるのだ。それを体感すると、生命体にとって自然がいかに大切なのかが知れるのである。

西田代より望む平ヶ岳

燧裏林道のクロべの巨樹

6000年の歳月をかけて出現した高層湿原

日本の高層湿原で随一とされる尾瀬ヶ原は、燧ケ岳の溶岩流によってせき止められて生じた湖が、6000年の歳月をかけて泥炭を堆積させて出現した高層湿原である。今でも年間1ミリずつ泥炭が上積みしていると言い、いま尾瀬ヶ原に堆積する泥炭層の厚さは450センチ以上にもなるという。しかし、遠い未来には尾瀬ヶ原は乾燥化が進み、草原へと移行してゆくことになる。

だが現在は池塘が点在する絶景を有している。その貴重な高層湿原を、半世紀ほども前にダムにしてしまおうという無知な計画が持ち上がった。只見川上流にダム湖を作り、日本海に流れ出す水を関東平野に引き込もうとする計画であったらしい。幸い自然の大切さが問い直されダム計画は頓挫した。もし計画が実行されていたならば、深い森林が悠久の時をかけて育んだ高層湿原は水没していただろう。

檜枝岐川の流れ

只見川上流の針葉樹林

 

写真・文: 石橋睦美 Mutsumi Ishibashi

1970年代から東北の自然に魅せられて、日本独特の色彩豊かな自然美を表現することをライフワークとする。1980年代後半からブナ林にテーマを絞り、北限から南限まで撮影取材。その後、今ある日本の自然林を記録する目的で全国の森を巡る旅を続けている。主な写真集に『日本の森』(新潮社)、『ブナ林からの贈り物』(世界文化社)、『森林美』『森林日本』(平凡社)など多数。