炭焼きは森の作業と火との駆け引き、炎と向き合う孤独な作業だ。
炭焼き師たちは寡黙だが、話してくれる言葉は胸を突く

炭焼きは奥が深く難しい

炭焼きが見直されている。先日、備長炭の炭焼き師にお会いしたら、若者や脱サラの方、趣味をかねてという退職者が炭焼きになりたいと言って尋ねてくると話していた。実際に、弟子入りし、焼いている人達も少なくないが、辛さに耐えられず止めていく人も多いそうだ。

炭焼き師たちは声をそろえたように「一生に一回でも良いから、これだという満足な炭を焼いてみたいと」言う。炭焼きはそれほど奥が深く、難しい仕事なのだ。

木炭には大きく分けて二種類ある

一つはバーベキューやかつて日常生活で煮炊きに使った「黒炭(くろずみ)」。この炭は叩き合わせれば、どすどすという鈍い音がする。火付きが良く、早々と燃焼する。

もう一つは焼鳥屋やウナギ屋さんで使われている紀州の備長炭に代表される「白炭(しろずみ)」である。テグスで備長炭を下げて、他の備長炭で叩いてみると、鉄琴を叩いたような澄んで美しい音が出る。金ノコで切っても刃が立たないほどの硬さがある。火が着きづらいが、熾(お)きれば長い間安定した熱を出す。火力と、遠赤外線を出す備長炭がウナギ屋に尊ばれる理由である。

白炭は黒炭に対する言い方で、実際に見た目が灰を被って白い。備長炭はその一部で、紀州以外でも日本各地で白炭は焼かれている。それらもみな硬い。

黒炭と白炭は製法や材料が違う。

まずは窯が違う。

白炭は高温に耐えるように基本的に天井以外は石や煉瓦で作られている。黒炭は一部に石を使うが、土の窯である。

窯の大きさはさまざまである。大きければ、沢山の木を詰め込まねばならないし、窯出しにも時間が掛かる。小さければ、木の伐採、詰め込み、焼き、窯出し、出荷を一週間単位ぐらいで繰り返すことになる。これは白炭も黒炭も同じである。

備長炭を例に15キログラムの炭を一回の工程で25俵出す窯を例に話を進めよう。

備長炭の主材料はウバメガシという和歌山や土佐などに自生するカシの仲間が主材料である。他にもアラカシやカシの仲間も材料になる。それらは商品になったときに表記される。山の木は自分の山から出すか、持ち主から購入する。

伐採方法には皆伐(かいばつ)と択伐がある。択抜(たくばつ)は炭焼きに適した太さの木だけを伐ること。皆伐は細い物も太い物もみな伐ってしまう。ウバメガシは売値を考えなければ、みな炭に焼ける。しかし、皆伐すると伐採跡にシイの木の仲間が侵入し、ウバメガシの成長を妨げる。

択伐では缶ビールの太さから上、ビール瓶ほどを適正、缶コーヒーより細い物は残す。こうすると15年ほどで見事なウバメガシ林が再生する。細い物は適当な太さになり、切り口からは芽が吹き出し、成長し、資源の心配が要らなくなる。15年でまた同じ山で炭が焼けるのだ。これが昔の焼き子と呼ばれる人達のやり方だった。

大事なのは勘と経験

伐った木は斜面を利用して滑り落としたり、他の木に傷が付かぬように背負って下ろした。木の集まるところに窯を築くのが昔のやり方だったが、今は下ろした材を出荷しやすい場所に作った窯場に自動車で運ぶ。

運ばれてきた木は窯に合わせた長さに切り、曲がった木は切れ込みを入れなるべく真っ直ぐにする。手間の掛かる仕事だ。なるべくぎっしり窯に詰める方が効率が良く、いい炭が焼けるからだ。こうして準備が出来た頃が、先に詰め込んだ窯出しの時間だ。そのように仕事の手順を組んであるのだ。

窯の中の様子や出来具合は火の色や煙のにおいで見極める。煙の匂いで温度もわかるという。時機を間違えば、炭の質は悪く、量も減る。親や師匠から、その見極めの技を受け継ぐのだ。ここぞと思うときに窯入り口を少しずつ壊し、「ねらし」という最後の仕上げの時が来る。窯の中は1000度を超え、白黄色の黄金のようになる。焼き上がった物からエブリという道具でかき出し、「スバイ」という灰と土で作ったものをかけて冷ます。この灰がまぶされ、白い炭が出来上がる。

全てを取り出したら、窯の床を均す。次の炭焼きの開始である。床の微かな傾斜や傾きが炭の善し悪しに影響する。それを終えたら、木を詰め込む。コロバシという丸太とハネギという道具で窯の奥から詰めていく。木は根本を上にぎっしり立てていく。

この時の窯は人が入れないほど熱い。一旦冷ましてしまえば、窯を温めるために余計な木が必要だし、時間が掛かる。場合によっては7日か8日で回す仕事が倍も日数が掛かる上に、炭の質が下がる。だから熱さに耐えて木を詰める。

こうしてずっと炭焼きを続けていく。重労働の連続の上に、匂いを覚え、色で温度を知るという教えようのない修業があって一人前になる。道具はいたって少ない、窯と僅かな物だけだ。大事なのは勘と経験。つまり炭焼き師個人が大事な道具なのだ。

黒炭はどんな木でもいい。窯の中がある温度まで上がったら、空気の流入を止めて蒸し焼きにし、窯が冷えたら取り出す。作業は違うが、判断は目や鼻という経験の積み重ねでいい炭を焼くというのは同じである。

森の作業と火との駆け引き、炎と向き合う孤独な作業は人を哲学的にする。炭焼き師たちは寡黙だが、話してくれる言葉は胸を突く。炭焼き師に憧れる理由はわかる気がする。

文: 塩野米松 Yonematsu Shiono

1947年生まれ。秋田県出身。東京理科大学理学部応用化学科卒業。作家。アウトドア、職人技のフィールドワークを行う。一方で文芸作家としても4度の芥川賞候補となる。絵本の創作も行い、『なつのいけ』で日本絵本大賞を受賞。2009年公開の映画『クヌート』の構成を担当。聞き書きの名手であり、失われ行く伝統文化・技術の記録に精力的に取り組んでいる。主な著書『木のいのち木のこころ』(新潮社)、『失われた手仕事の思想』(中央公論社)、『手業に学べ』(筑摩書房)、『大黒柱に刻まれた家族の百年』(草思社)、『最後の職人伝』(平凡社)、『木の教え』(草思社)など多数。