訪れた人が自ずから頭を垂れる
そんな建物を造るのが宮大工の仕事
法隆寺・薬師寺の棟梁だった西岡常一氏に学ぶ

宮大工は、「建物を建てるときに釘を使わないものだ」と驚きと尊敬を含めて言われている。これはほんとうである。屋根下の野地板のじいた(下地材)や垂木たるきの押さえなどには使うだろうが、大きな建物を組み上げるときには基本的に使わない。使ってもしょうがないのである。

世界最古の木造建造物である法隆寺の中門の柱は直径が60cmほどある。こんな大きな材が組み上げられているのだ。とても釘で留められるものではない。材と材を仕口しくち(継ぎ手)や組み手、材の性質を生かして組み上げてある。

右曲がりと左曲がりの木を組み合わせることで、時間が経てば経つほど、組み合わせはガッシリとなっていく。

「法隆寺はそうなっているのだ」と教えてくれたのは法隆寺・薬師寺の棟梁だった西岡常一氏だ。今は肩書きをこう書くのが普通になっているが、私がお会いした頃は法隆寺・法輪寺棟梁となっていた。

まずは土や環境、自然を学ぶ。

薬師寺金堂の再建にあたって、薬師寺が法隆寺と法輪寺の了解を得て西岡氏に来てもらったのだと聞いた。本来は、法隆寺お抱えの棟梁だったのだ。西岡氏のところには聞き書きの本を作るために10年間ほど通った。

前述の木の癖を読んで、それをうまく使うのだという話を聞いたのもそのときで、なるほど偉いもんだと思った。しかし、相手は木である。どうやって癖を見抜くのか。

経験だと言われれば、私達は諦めるしかない。西岡氏の答えは、生えているところを見ればわかるというものだった。立木を見れば、どんなふうに生育したか、どっちから日が当たり、風はどの方角から吹くのか。土壌はどうか、水位はいかほどか。

氏は法隆寺の棟梁だった祖父に農学校へ行かされた。なぜ大工が農業かと思ったらしいが、後になってわかる。土や環境、自然を学ぶための遠回りだったのだ。

木は癖を見抜いて組むこと

西岡氏の話を聞く中で、宮大工の口伝を教わった。

1,神仏を崇あがめずして伽藍堂塔がらんどうとう(※1)を口にすべからず

2,伽藍造営には四神相応しじんそうおう(※2)の地を選べ

3,堂塔の建立には木を買わず山を買え

4,木は生育の方位のままに使え

5,堂塔の木組みは木の癖組くせぐみ

6,木の癖組は工人こうじん(職人)の癖組

7,工人等の心組みは匠長しょうちょう(棟梁)が工人らへの思いやり

8,百工あれば百念あり、一つに統すぶるが匠長が器量なり

9,百論一つに止まるを正とや云うなり

10,一つに止める器量なきは謹つつしみ懼おそれ、匠長の座を去れ

11,諸々の技法は一日にしてならず祖神達の徳恵とくけい(徳と恵み)なり

ここには、心柱を継ぐ秘伝や代々伝わってきた技は一つもなかった。木の使い方とたくさんの職人を扱うための棟梁としての心構えと戒めであった。

「木は癖を見抜いて組むこと」、「生育の方位のままに使え」。

それは人も同じである。

そのものの性格を生かす

必ず、木にも人には癖がある。両親から受け継いだ血と育った環境でできた癖だ。その癖を悪いこととみなして使わぬなどはとんでもない。それを生かすのが仕事だ。癖を生かせば、よりいい建物ができる。人間も性格を生かしてやれば、癖の強いやつほど組織は強固になる。これを適材適所というのだ。

飛鳥の工人はこうしたことができたから、千年の木で千年もつの建物を造れた。法隆寺が1350年前の姿で今に残るのは、そうした心構えと、知恵があったからだ。

西岡氏はそんなふうに話してくれた。

事に仕える

民家は住む人の安心を第一とする。堂塔伽藍は神仏のお住まいになるところ。訪れた人が自ずから頭を垂れるそんな建物を造るのが宮大工の仕事だ。仕事は「事に仕える」ということだから、金や欲に走ってはならん。期限や儲けにとらわれてはいい仕事ができないから、自分は民家はやらないと、西岡氏は自分の家も他の人に任せていた。

そんな職人が昔はいた。

文: 塩野米松 Yonematsu Shiono

1947年生まれ。秋田県出身。東京理科大学理学部応用化学科卒業。作家。アウトドア、職人技のフィールドワークを行う。一方で文芸作家としても4度の芥川賞候補となる。絵本の創作も行い、『なつのいけ』で日本絵本大賞を受賞。2009年公開の映画『クヌート』の構成を担当。聞き書きの名手であり、失われ行く伝統文化・技術の記録に精力的に取り組んでいる。主な著書『木のいのち木のこころ』(新潮社)、『失われた手仕事の思想』(中央公論社)、『手業に学べ』(筑摩書房)、『大黒柱に刻まれた家族の百年』(草思社)、『最後の職人伝』(平凡社)、『木の教え』(草思社)など多数。