日本の暮らしを支えてきた、ものを作る人たち。師匠から弟子へ綿々と受け継がれてきたわざは、その人たちの手に宿っています。永い歴史の中で一つの時代を担う、職人の手わざが生み出す仕事と、彼らが背負う思いをお伝えします。
今回は、「工業と手業の境界に遊ぶ生命ある土の器」を作りたいという益子焼きの陶芸家、鈴木稔さんです。
文 : 舟橋 愛 Ai Funahashi / 写真 : 岩田えり Eri Iwata
益子の土と釉薬で作る現代の暮らしに溶け込む器
栃木県・益子町は、山を隔てて隣接する笠間から江戸時代末期に焼き物の技術が伝わったといわれる産地。原料となる土が豊かであったこと、大消費地である東京が近かったことから日用使いの雑器を多く生産し、全国屈指の陶器の里として知られています。そんな益子で、雑器というには涼やかでモダン、けれど確実に「益子焼」だ、と感じさせる器を作っているのが、works & productsの鈴木稔さんです。
「実は、活動する場所として、益子は選択肢になかったんです。美術工芸として、きちんとしたものを作る作家になりたいと思っていた私にとって、益子焼は泥くさくて安っぽいものにしか見えていませんでした」
ところが、たまたま知人の手伝いで益子に滞在することになり、この土地の底力に気付いたといいます。
「民藝運動(※1)を推進した作家の濱田庄司さん(益子に移住し、多くの窯に影響を与えた)の作品を始め、土を吟味して登り窯で焼かれたいい器があるんです。次第に『あれ?益子焼って、いいんじゃないか?』と思い始め、土や釉薬を調べるうち、益子には、歩いて行ける範囲に土も釉薬も、焼き物の材料が全部あることに気が付きました。その辺の工事現場からも良質な土が出るのだから驚きですよ」
※1 民藝運動=柳宗悦により提唱された、日本各地で作られる焼き物や染め物など、日用品の中にこそ「用の美」を29 見出して世に広めることを目的とした運動
益子という土地にすっかり魅せられた鈴木さん。さらには、「日常の器が大量に生まれる場所だからこそ、時代が求めるものが見えやすいのでは」と、益子を見る眼が変わったそうです。益子の土と釉薬で、現代に合わせた器を作りたい。気が付けば、益子に自分の窯を構えていました。
人工なのに自然物のような佇まい。「割型」で手のぬくもりを伝える。
鈴木さんの作品の特徴は、「割型」という型を使った成形です。面白いのは、型なのに手のぬくもりを感じる器が生まれること。あえて型の継ぎ目を残すことで、手仕事の跡が感じられるというのもありますが、それ以上に、一つ一つ手で成形したような味わいがあるのです。
「元になる型も、普通のろくろではなく、私が手でこねて作っているからでしょうね。じつは少しゆがんでいたりいびつだったりするけれど、人の目の錯覚できれいな形に見えている。自然界にあるものもそうだと思うんですよ。りんごは丸いけれど、本当はゆがんだ丸ですよね」
大地の滋養を吸い込んで結実する果実のように、鈴木さんの手から生まれる器も決まった形でありながら有機的。そうした、人工だけど自然に近い佇まいが、使う人を魅了します。
「昔は普通のろくろも使いましたが、自分にしかできないことはなんだろうとずっと考えていました。そんなとき、河井寛次郎(濱田庄司と同じ時代に活躍した陶芸家)の、割型で作られた向付(むこうづけ ※2)を見る機会があったんです。想像で型を作ったら、同じものが作れてしまって、型の面白さにのめり込みました。いろいろ作るうち、どうやら自分は型が得意らしいと気が付いて、型一本にしたんです」
※2 向付=会席料理の品目の一つ。またはその器。
型とはいえ、工程が多い割型は量産には向かない手法。同業者には、「このやり方で1日何個作れるの?」と聞かれることもしばしばだそう。
「数を作るだけなら、誰がやってもいいんですよ。手にした人が、なんだかこの器は違うなと感じて、使ってくれてこそやる意味がある。時代に合わせながら、人工と自然が融合した器を作っていきたいです」。