日本各地には、人々の暮らしの中から生まれ、人々によって口承されてきた様々な言い伝えや物語があります。これらは「民話」として総称され、その風景と共に人々の間で語り継がれて来ました。
ここでは、今でも各地に語り継がれている民話と、その民話を生んだ風景を、写真家・石橋睦美が訪ねます。
写真・文 : 石橋睦美 Mutsumi Ishibashi
東信濃塩田平「西行戻り橋」
千曲川の畔にひらけた塩田平には、古くからの出で湯、別所温泉があり、安楽寺や常楽寺など平安時代以降に創建された古刹が多い。北向観音もそのひとつで、天長二年に慈覚大師円仁によって創建されたと伝えられる。
お堂は「北斗七星が世の依怙[よりどころ]であるように、我も一切の衆生のために依怙となって済度をなさん」との観音菩薩の誓願から、北斗七星を拝するように北向きに建てられたという。境内に樹齢千二百年にもなる愛染桂がある。ある年、村中を焼きつくすほどの大火が起きた。その時、千手観音が現れ、樹上から手を差し伸べ、村人を救ったと伝えられている。
陽春の峠路での西行伝説が面白い。塩田平の古刹へ詣でようと西行は別所街道を辿り、掘抜峠へ差し掛かると童たちが遊んでいた。童たちは野原で蕨を採っていたのだ。その様子に見入っていた西行は、童たちをからかってやろうと思い立ち、「子供たちよ、ワラビ[藁火]など取って火傷するな」と語りかけた。するとひとりの童に「これ坊主、檜傘[火の笠]を被って頭を焼くな」とかえされてしまう。
これは参った、と西行はすごすごと逃げるように歩き出し、峠を越えて別所温泉の入り口に懸かる湯川の橋までやってきた。だが、西行はどうしても先ほどの童たちが気になり、あの童たちと禅問答をしてみようと思い立つ。そこで橋を渡らず掘抜峠へ引き返したが童たちは消え去っていた。
こうした西行にまつわる伝承は形を変え、各地に語り継がれている。北面の武士として帝の側近くに使えた佐藤義清は友の死を悼み出家し、西行と名乗り各地に足跡を記している。