長く複雑な海岸線から、内陸の山岳地帯まで、高低差も大きく変化に富んだ地形の島国・日本。それぞれの環境に合わせ、さまざまな樹木が組み合わさって、多種多様な森林を形成しています。ここでは植生の違いを中心に分類しつつ、ぜひ訪れていただきたい、魅力あふれる森をご紹介します。
今回は、北海道・根室半島の付け根近く、シベリアのタイガを彷彿させる「風連湖」です。

極寒に耐える生命のほとばしり

かつて北海道の大地を隈なく覆っていた原生林は、明治以降の開拓によってほとんど伐り払われてしまった。だが、何らかの理由で、わずかに残された森があるのではないだろうか、そんな夢を追って北海道へ来るたび探してみた。もし見つけることができれば、シベリアのタイガを彷彿とする亜寒帯針葉樹林に出会えるかもしれない。そんな夢を抱いてみたのである。

厳寒の水辺

道東の根室半島の付け根近くに風連湖がある。海流が運んだ砂が堆積して出来た砂州という地形で、砂州によって海と隔てられた汽水湖である。その風蓮湖の辺りにアカエゾマツとトドマツが混生する針葉樹の森が存在していて、砂州上に茂り天然更新が成され、原生林の佇まいを維持していることを知った。

風蓮湖を形作る砂州を春国岱(しゅんくにたい)という。先住民のアイヌは「スンク・ニッ・タイ(エゾマツが茂る小高い場所)と呼んでいたのを、本土からの開拓民が「春国岱」と漢字をあてたという。その春国岱の森は水分をたっぷり含んだ砂州に茂っており、こうした環境に成り立つ森林形態は珍しく、他には国後島のフルカマップにあるだけといわれる。

秋風吹く水辺から望む針葉樹林

私が最初に風蓮湖の春国岱を訪れたのはもう二十年ほども前になる。風蓮湖の渚を過ぎて、枯れ木が林立する湿原を横断してゆく。森と湿原の境にはアカエゾマツの枯れ木が幾本も横たわり、その幹や枝にサルオガセが付着していて、一見して湿気の多い自然環境であることが知れた。

森へ入ると、私が知るどの森とも違っているのがわかった。冬が到来した季節だというのに、林床を覆う苔の緑が濃く厚い絨毯を敷き詰めたようにも見える。その苔の表面をそっと押してみると、まるで柔らかなクッションのようにふんわりした弾力がかえってきた。きっとたっぷり水を含んでいるせいなのだろう。そして林床の窪地には小さな水たまりが幾つもできている。こんな景色を他では見たことがない。これが春国岱の特異性なのである。染み上がる地下水が森を満たしているのだ。よく見ると凍りついた林床の小池に尖った芽がいくつも立ち上がっている。最初は何だろうと思ったがミズバショウの冬芽であった。ミズバショウは冬芽の状態で冬を越し、雪解けとともに花開くのである。

ミズバショウ咲くアカエゾマツ林
アカエゾマツの倒木に付着するサルオガセ

冬の道東の日暮は早い。四時には日が沈んでしまう。闇に飲み込まれてゆく森を出て、風蓮湖の水辺に戻り、振り返ると春国岱は黒いシルエットとなって暮色の中に輪郭を刻んでいた。

翌朝、ふたたび春国岱へ向かった。その朝は森に入らず、砂州の中程にある野鳥観察用の展望櫓に登ってみた。現在は朽ちて立ち入りはできないが、当時はまだ登ることができた。櫓の頂きからは緑白色に凍りついた湖面と湿原が見渡せ、奥に春国岱の森が黒く沈んでいる。そんな雪に閉ざされた風景の中を一頭のエゾシカがゆっくりと行き過ぎていった。まるで私が思い描いたタイガの幻影を映しているような光景であった。極寒に耐える生命のほとばしりを感じさせてくれたのである。

一昨年の晩秋、春国岱を久しぶりに再訪した。湿原の中程で遊歩道は崩壊していたために、森へ入ることはできなかった。ただアカエゾマツの枯木が群立する原野を吹き過ぎる風は冷たく、最初に訪れたときの春国岱の森の息吹を思い起こさせてくれたのである。

オオワシ

風蓮湖

所在地:北海道根室市
問い合わせ:地根室市観光協会
北海道根室市光和町2丁目10番地
☎ 0153-24-3104
https://www.nemuro-kankou.com

写真・文: 石橋睦美 Mutsumi Ishibashi

1970年代から東北の自然に魅せられて、日本独特の色彩豊かな自然美を表現することをライフワークとする。1980年代後半からブナ林にテーマを絞り、北限から南限まで撮影取材。その後、今ある日本の自然林を記録する目的で全国の森を巡る旅を続けている。主な写真集に『日本の森』(新潮社)、『ブナ林からの贈り物』(世界文化社)、『森林美』『森林日本』(平凡社)など多数。