時間や約束に縛られることもなく、
自由な旅をするかのように、気が向いた場所に足を運び、
雨の日には雨の京都を、曇りの日には曇りの京都を、
また晴れた日には晴れの京都を、写し撮ってみたい。
写真 : 谷口哲 Akira Taniguchi / 文 : 中島有里子 Yuriko Nakajima
歩く姿がほんま絵になる橋ですなぁ
縦一列でしか歩けまへん
急いで渡ることあらしまへん
京都市東山区、知恩院古門の北側の、比叡山から流れる白川に、簡素な石の橋がかかっている。
御影の切石を縦に2列ずつ並べただけのシンプルなもので、幅60cmあまり、対岸までの長さは12m弱。欄干や囲いはない。
人ひとりが通れるだけの幅で、初めて見たら躊躇する狭さだが、生活路らしく人々は気軽に行き交い、自転車で通る強者もいる。
京都の市道で行政上の名称は「古川町橋」だが、地元では昔から見た目のままに「白川の一本橋」と呼ばれ、親しまれてきた。そして、別名「行者橋」「阿闍梨橋」ともいわれている。
比叡山延暦寺では平安時代から「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」という行が行われてきた。
7年間で1000日にわたり、比叡山中の約300か所の聖地を徒歩で礼拝して回る。歩行距離は、地球1周に匹敵するほどだという。終盤には9日間、水も食物も睡眠もとらずに不動明王の真言を10万回唱え続ける「明王堂参籠(さんろう=堂入り)」が課せられる。死ぬ者もあるほどの荒行である。
そして、千日回峰行を達成した行者(ぎょうじゃ)は、知恩院の傍らにある尊勝院に詣で、満行を報告するのだが、その際に最初に渡る橋がこの一本橋なのだった。
「行者橋」や「阿闍梨橋」と呼ばれるのは、そうした由来があったのだ。
【白川一本橋】
正式名称「古川町橋」。
別名「行者橋」「阿闍梨橋」(阿闍梨:あじゃり=高僧の敬称)。
現在の橋は1907(明治40)年に架け替えられたもので、日本百名橋の番外に選ばれている。
【所在地】
京都府京都市東山区梅宮町と堤町の間