日本では、かつて数多くの城が存在していました。しかし、建築された当時の天守がそのままの姿で残されているものは全国にわずか12城しかありません。そのほとんどは姿を消し、現在見ることができるのは新たに建設・復元されたものです。そんな現存天守は、長い歴史を積み重ねながら、今なお日本人の心に響く美しい姿を保ち続けています。
今回は、島根県松江市にある国宝・松江城(まつえじょう)をご紹介します。
質実剛健、戦うことを考え抜いた重厚な城
豊臣秀吉、そして徳川家康に仕え、関ヶ原の合戦での功績から月山富田城を与えられた堀尾吉晴が、水運に恵まれた宍道湖のほとりにある標高30mほどの小高い亀田山に築いたものです。1607(慶長12)年に築城が始まり、1611(慶長16)年に完成しています。当時は湖と湿地、そして北にある山稜に囲まれており、防御性に優れた地に築かれた城です。
本丸の中に独立して建つ松江城の天守は4重5階の規模を誇り、きわめて実戦的な造りを見せています。いたるところに石落や狭間を設け、天守に進入しようとする敵を討つための施設を備えながら、本丸の周囲も多聞櫓で囲まれ、防備を強く意識した構造といえます。
現在の本丸は大きな広場となっていますが、かつては6つの櫓があり渡櫓でつながっていたとされます。本丸の東と南には、二の丸が階段状に築かれ、独立した形で配置されている三の丸には、現在、島根県庁が建てられています。三の丸から本丸にかけては幾重にも曲輪が廻らされており、このような階段状の曲輪構成は、平山城の理想の形とされています。
地元の有志により守られた天守。
天守の屋根上に備えられた鯱鉾は、高さ2.08mの木彫銅張りで、現存する木造のものとしては最大。最上階の望楼は、壁がなく360度の展望が可能で手すりが巡らされています。2階部分まで雨を防ぐための黒い下見板張りで覆われているため、武骨な印象を受ける天守は「甲冑姿の古武士」と表現されることもあります。別名は千鳥城ですが、これは天守正面にある入母屋破風の三角屋根が、千鳥が羽を広げた姿に見えることから名付けられたものです。
堀尾氏、京極氏、松平氏と三家の城主によって守られてきた松江城ですが、明治8年の廃城令よって建物の取り壊しの危機が訪れた際には、地元の有志が資金を調達し保存されることとなり、山陰地方で唯一現存する天守となっています。
現在、城内には松江の街や城の関連資料が展示され、天守の最上階からは松江市街を一望できる観光スポットであるとともに、2015年、天守としては5カ所目の国宝に指定され、松江市のシンボルとなっています。
松江城
別名:千鳥城
築城年:慶長12(1607)年
築城者:堀尾吉晴(ほりおよしはる)
種類:平山城
主な遺構:天守、櫓、石垣、堀
開場時間:8:30〜18:30(10〜3月は8:30〜17:00)
休場日:無休 問い合わせ:松江城山管理事務所 ☎0852・21・4030
所在地:島根県松江市殿町1-5
アクセス:JR松江駅からバス約10分