時間や約束に縛られることもなく、
自由な旅をするかのように、気が向いた場所に足を運び、
雨の日には雨の京都を、曇りの日には曇りの京都を、
また晴れた日には晴れの京都を、写し撮ってみたい。

「哲学の小径」「散策の道」「思索の道」「疏水の小径」そして「哲学の道」に

ただただ、歌枕にたゆたう

底を突いた空気まで、赤く染まる陽の出前

朝日が都も落葉も染める瞬間

 

時代を超えて愛され続ける京都ならではの紅葉

京都は三方を東山、北山、西山に囲まれた盆地で、これらの山々から鴨川、桂川、宇治川が流れ下り、その麓には大小多くの社寺が点在し、そのほとんどの庭園が苔で覆われて水分が保たれている。

葉が美しく紅葉するには、日中の最低気温が5℃以下になり、十分な日照と昼夜の気温差があり、適度な水分と紫外線があることが必須条件だといわれている。加えて、カエデは肥沃な壌土を好み、強い西日や潮風を嫌う。直射日光が当たらない、下枝が高い大木を背景にした場所が植栽には最適で、京都は美しく紅葉する自然条件が満たされているといえる。

また、上古の時代から、日本人の繊細な美意識が紅葉をより魅力的なものに育ててきた。紅葉の名勝地は同時に松の名勝地で、マツとカエデとは相調和する樹種、マツの緑とコケ、紅葉したモミジとのコントラストは際立って美しい。

平安時代になると、貴族の屋敷に人為的に植栽した庭園が作られるようになる。とくに落葉広葉樹の紅葉を愛で、「かえで」「もみぢ」「紅葉山(もみぢやま)」と名づけて植えられた。この時代に書かれた『作庭記』には、「…釣殿のほとりにはかえでやうの…」と書かれ、寝殿造庭園の水辺近くに植えられていたことがわかる。カエデの葉は春の新緑、夏の緑陰、秋の紅葉と、繊細で優美な姿が好まれた。

多くの名所を有する京都の紅葉だが、天龍寺庭園を例に見てみよう。

1341(暦応4)年頃に夢窓疎石(1275—1351)によって作庭されたと伝えられているこの庭園は、岬を表現した軽快な石組と対岸の険しい滝石組、池周りのモミジの紅葉と背景の緑とが重なりあい、池に映るコントラストが特に美しい風情を見せている。海洋の景色、深山幽谷の景色が渾然一体となり、背景の嵐山の風景と調和し見事なモミジの植栽美を作り出している。夢窓疎石最高傑作ともいえる庭園である。

また、夢窓疎石が1339(暦応2)年頃に作庭したと伝えられる西芳寺庭園では、黄金池の周りに多くのカエデが植えられ、華やかな庭園であったことが『蔭涼軒日録』に書かれている。鹿苑寺(金閣寺)を創建した室町幕府第3代将軍・足利義満も周辺や池の中島にカエデを多く植えていたが、6代・義教、8代・義政は何度も西芳寺を訪れ紅葉を愛で、敬愛する夢窓疎石がカエデを好んだことからも、競って金閣寺・銀閣寺庭園にカエデを植えたといわれている。

ほかにも南禅寺から哲学の道に至るルートや、豊臣秀吉が「醍醐の紅葉狩り」と称した醍醐寺の紅葉など、見どころはつきない。このように、京都には、単に自然条件だけでなく、山々、風情、社寺との調和といった自然と人為的魅力の両方を楽しむことができる景観が備わっているのだ。(編/中島)