日本各地には、人々の暮らしの中から生まれ、人々によって口承されてきた様々な言い伝えや物語があります。これらは「民話」として総称され、その風景と共に人々の間で語り継がれて来ました。
ここでは、今でも各地に語り継がれている民話と、その民話を生んだ風景を、写真家・石橋睦美が訪ねます。
写真・文 : 石橋睦美 Mutsumi Ishibashi
都市の騒音は消え去り、謡曲の世へと誘い込む
越中、立山の山中に地獄谷がある。世阿弥が創作した謡曲「善知鳥」は、ここ地獄谷と陸奥国青森を繋ぐ物語である。が、その話の前段が伝説として語られる。珍しい善知鳥の幼鳥を獲った猟師は、都へ売りにゆくため吹雪の峠を越えようとする。その後を、幼鳥を取り戻そうと親鳥が「うとう・うとう」と鳴いて追う。だが猟師も死に、善知鳥も幼鳥を羽根で覆うようにして雪に埋もれてしまう。
謡曲「善知鳥」は以後の話になる。旅の僧が地獄谷を歩いていると亡霊が現れる。「私は陸奥で善知鳥を獲って暮らしていたが、死ぬと殺生の罪に裁かれ地獄へ落ちた。もし陸奥国へ赴くことがあったなら、外ヶ浜の我が家へ立ち寄って妻子に伝えてもらいたい。形見の蓑笠と麻衣を僧に渡し、これを仏前に供えて夫の霊を弔ってほしい。私は生前の報いを受け、怨念を抱いて死んだ善知鳥の嘴で毎日突かれている。この苦しみから救ってほしい。」と懇願するのであった。善知鳥は北の海に棲む海鳥で親子の情愛が深く、親鳥が「うとう」と鳴くと、幼鳥は「やすかた」と答えて甘える。その幼鳥が獲られると、親鳥は血の涙を流して悲しむという。
青森市内に善知鳥神社が祀られており、この物語に現実性を帯びさせている。私が善知鳥神社を訪れた日は、秋の雨が激しく降る朝であった。雨音だけが聞こえる境内に入ると、都市の騒音は消え去り、謡曲の世へと誘い込んでくれるようであった。