日本国内はどこへ行っても魅力的な鉄道が走っています。
鉄道旅は、他の交通機関では味わえない、その地域の魅力を感じることができます。
ここでは、日本の鉄道旅の魅力をシリーズでお伝えします。
今回は、全線開通した震災復興のシンボル三陸鉄道です。

東日本大震災で大きな被害を受けた三陸海岸の鉄道は、2019年3月、最後まで未開通区間だった釜石=宮古間がようやく開通しました。これで南は盛(大船渡市)から北は久慈に至るまで、160キロを超える、日本最長の第三セクターの鉄道路線が誕生することになりました。まさに震災復興のシンボルといえます。

沿線住民の鉄道愛でようやく開通

今回久しぶりに開通した釜石=宮古間は、元々はJRの山田線で旧来からあった路線です。比較的海岸の近くを走っていたため、津波の被害を大きく受けていました。そのためJR東日本では、経費面からも、鉄路の復旧よりBRTというバス路線での復旧を念頭に置いて動いていました。

しかし沿線の山田町や大槌町では、鉄路の復旧を望む声が強く、県やJR東日本と何度も協議を重ね、JRが線路の復旧を担当した後に三陸鉄道に無償で譲渡し、路線の運営は三陸鉄道が担当することで合意しました。旧国鉄時代から宮古=釜石間には鉄道はあったため、住民の熱意が高かったことがわかります。

開通を祝う垂れ幕・陸中山田駅で

三陸鉄道は2019年3月までは、釜石の南、盛までの南リアス線と、宮古の北、久慈までの北リアス線という分断された2路線を運行していました。この中間の釜石=宮古間の旧山田線区間が新たに加わることで、三陸海岸を走る長距離の大動脈となる鉄路を担うことになりました。このため三陸鉄道の南端の盛から、釜石、宮古を経由し北端の久慈まで、直通する列車も1日に何本か運転されています。

旧南リアス線を走る列車・唐丹駅で

盛から南の気仙沼、石巻方面にかけては、線路が海沿い通っていたため、とくに津波に遭った被害も大きなものでした。そのためJRの大船渡線、気仙沼線は鉄路ではなく、早期復旧が可能なバス路線の整備をJR東日本は優先しました。トンネルも改修して専用のバス道路として整備し、BRTと呼ばれる専用バスが走らせており、今後も鉄路を整備する可能性は低いと思われます。

新たに開通した区間に乗車してみる

釜石から宮古へ向かう列車に乗車してみました。19年3月から新しく開通した区間です。釜石はもともと製鉄とラグビーの町として有名で、とくに何度も日本一に輝いたラグビーチーム「新日鉄釜石」のホームタウンでした。

列車は釜石を発車すると二つ目が「鵜住居」駅です。ここには19年9月に開かれる、ラグビーのワールドカップ日本大会の1会場となる競技場があります。現在は開催に向けた準備が着々と進んでおり、競技場まで駅から歩いて5分という距離にあります。

ワールドカップ会場となるスタジアム

その先の「大槌」駅は、斬新な駅舎が眼に止まります。近くには、NHKテレビ人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルとなった島があり、駅舎もその島をモデルとしてつくられています。 駅付近では住宅の建設も進んでいます。その次が「吉里吉里」駅。少々変わった駅名ですが、井上ひさしの小説「吉里吉里人」の舞台となり、一躍有名になった場所です。

特徴のある大槌駅

その先の「浪板海岸」駅はその名の通り、駅の傍にある浪板海岸から雄大な太平洋が望めます。サーファーが訪れる素晴らしい波がある場所としても知られ、今回開通した区間では海に近い駅の一つになります。駅前には東日本大震災で、津波が到達した地点を示す石碑も建てられています。

風光明媚な浪板海岸

新しい開通区間のほぼ中間に位置する「陸中山田」駅は、最も熱心に鉄路の建設を請願していた地域です。立派な駅舎も完成し、駅前にはスーパーマーケットや飲食店、金融機関の建物も完成、個人住宅の建設も進んでいます。綺麗な海として名高い山田湾は町の中心部では強固な堤防が設置され、海を望むことは出来なくなってしまいましたが、以前の賑わいが戻りつつあるようです。

洗練された陸中山田駅舎

陸中山田を過ぎると列車は山間部へ入り「豊間根」を通過します。再び海岸近くの「津軽石」を通り、宮古へ到着します。新しく開通した区間の駅は、すべて新規に建設されたもので、コンパクトながら機能的な駅が多くみられます。路線が繋がったことにより、人の移動が楽になったことは間違いありません。

宮古駅に到着した列車

復旧が早かった三陸鉄道だが課題も多い

比較的高台に線路があった三陸鉄道ですが、2012年の震災でかなりの被害を受けました。しかし震災からすぐに、三陸鉄道は大勢の人たちの「鉄道を動かす」という努力が実り部分的に開通します。日本国内だけでなく、クエート政府など海外からの援助もあり、早期の復旧が可能になりました。

クエート政府から援助を受けた車輛の内部

宮古から北の久慈までを走る北リアス線では、宮古=小本間(現在の岩泉小本)と久慈=田野畑間が開通、希望を乗せて列車が走りました。島越付近ではトンネルの損傷などの被害が大きく、小本=田野畑間の開通は、しばらく経った2014年になります。南リアス線でも盛=吉浜間は比較的早く開通しましたが、吉浜=釜石間の開通は2014年になります。これにより釜石=宮古間を除き、北リアス線、南リアス線は復旧します。

宮古から旧小本駅止まりで部分開通
田野畑駅から見た線路が錆びた未開通区間

2019年に三陸鉄道は全通しますが、課題も見えてきました。開通後の乗客数は順調にもみえますが、赤字解消にはなっていません。震災前に比べ沿線人口が減っている現実をどう克服するかです。元々住んでいた人の帰還だけでなく、安全と住みやすさを発信し、都会からの移住者を増やす必要があります。高速道路網の建設が進んでおり、鉄道の乗客を増やすためには、沿線の自治体と三陸鉄道の協力が不可欠です。

さらに旅行者をできるだけ鉄道沿線に下車し、観光と宿泊 の機会を増やす必要があります。直通運転が実現し便利になった半面、全く途中で降りない通過する観光客が多くては、沿線の経済は潤いません。こうした課題への取り組みが必要です。