長く複雑な海岸線から、内陸の山岳地帯まで、高低差も大きく変化に富んだ地形の島国・日本。それぞれの環境に合わせ、さまざまな樹木が組み合わさって、多種多様な森林を形成しています。ここでは植生の違いを中心に分類しつつ、ぜひ訪れていただきたい、魅力あふれる森をご紹介します。

照葉樹林が稲作文化を育む礎となった森

朝鮮半島と九州を隔てる海峡に対馬と壱岐、ふたつの島が点在する。これらの島は太古より大陸と日本列島との架け橋になっていて、様々な大陸文化が、ここを通って日本へ流入した。稲作を主にする文化もおそらくそうであろう。

花崗岩を露出する瀬川の河床

対馬を訪れたのは、もうだいぶ以前になる。厳原港へ着いた翌日から、冬の北西季節風が強まった。ただ対馬は、寒風は強いが雪が積もることは稀だという。その変わりに空気が乾燥して寒さがひときわ厳しい。冬のそんな季節に対馬を訪れたのは、生命の息遣いが希薄な照葉樹林の佇まいに触れてみたいと思ったからである。

南北に細長い形状をした対馬の南部に、照葉樹の原生林が繁る龍良山[たてらさん]がある。スダジイやイスノキの巨樹が林立する鬱蒼とした森である。

椎根の石屋根倉庫

森に入ると、すぐに木々の密集によって生じた薄闇が身体中に纏わりついてくるのを感じる。ただ腐葉土が厚く積もっているせいで、足裏からふかふかした感触が伝わってくるのが心地よい。照葉樹林では一年中肉厚の葉が茂っているから、林内に届く日差しは乏しい。だから明るい雰囲気の落葉広葉樹の森に比べると、気持ちが良いとは言い難い。だが歴史を紐解き、照葉樹林が稲作文化を育む礎となった森であると知れば、最も貴重な森であると悟るのである。さらには稲作文化の広がりによって大和朝廷成立への道筋が築かれたのだから、米を主食とする日本人にとって、郷愁を蘇らせてくれるのは当然であろう。

龍良山山麓の森に祀られる磐座

この風は韓国風

龍良山原生林では幼樹も程よく生えていて、老木も倒木も適度にあって、健康的な森林更新を続けているのがよくわかる。森へ通い出して何日目だったか、忘れられない小動物との一瞬の出会いがあった。明けきらぬ森の中の流れを撮影しようとしていたら、すぐそばまで小さな動物が飛び跳ねてきた。それは少し離れた岩の上に立つと、私たちを興味深げに見つめた。黄褐色の毛に覆われて顔だけが白い対馬の固有種、ツシマテンであった。

龍良山へ来る前夜、立ち寄った酒屋のおばさんが「今日は寒いねー。この風は韓国風だから」と言っていた。対馬から朝鮮半島までは50キロ弱しかない。この近さから大陸に吹く乾燥した寒風と同じ風が、対馬では吹くということらしい。

イスノキやスダジイが茂る龍良山山麓の森

そんな肌を突き刺すような寒気も、日差しが林間から差し込むようになると和らいでくる。すると小鳥たちの囀りが聞こえだす。朝の澄んだ空気に包まれる森で鳥たちの気配を感じていると、人間が大陸と日本列島との交流が行われる以前から、鳥たちは対馬と壱岐を中継地として、海上を行き来していたに違いないと気づくのであった。

もしかしたら龍良山原生林に生える木の最初の種も、長江あたりの森から鳥たちが運んできたのかもしれない。在島中に出会ことはできなかったがベンガルヤマネコの亜種とされるツシマヤマネコも、朝鮮半島と陸続きになった時代に対馬へやってきたと考えられる。

自然の中に神が存在

撮影が一段落した日に、椎根集落にある石屋根倉庫を訪ねてみた。木材で組み上げた建屋に、薄く削いで板状にした自然石を屋根に葺いた倉庫である。その佇まいを見ると、どことなく大陸の香りが匂い立ってくるように思えたのである。

スダジイの巨樹

対馬では、自然の中に神が存在するという信仰が息づいている。龍良山の原生林が伐られずに残ったのも神坐す場として、村人が恐れを抱いたからなのかもしれない。深緑の葉が密集する林内にひっそりと社のない磐座があって、鳥居が建てられていた。鳥居に張られたしめ縄には、秋に収穫した稲穂が下がっている。

山が険しく稲作を行う平地が少ない対馬では、米は貴重であった。だから生活は漁業に依存した。それでもなお稲への思いが強いと知らされる磐座であった。 

龍良山山麓の照葉樹林