日本では、かつて数多くの城が存在していました。しかし、建築された当時の天守がそのままの姿で残されているものは全国にわずか12城しかありません。そのほとんどは姿を消し、現在見ることができるのは新たに建設・復元されたものです。そんな現存天守は、長い歴史を積み重ねながら、今なお日本人の心に響く美しい姿を保ち続けています。
今回は、福井県坂井市にある丸岡城をご紹介します。

攻めてくる敵への備えも万全

丸岡城は、1576(天正4)年に、織田信長の家臣、柴田勝家の甥にあたる勝豊により築城されました。

丸岡城は別名、霞ヶ城とも呼ばれていますが、これは敵からの攻撃を受けた際、天守閣横にある井戸から大蛇が現れ、城に霞をかけて城の危機を救った、とされる伝説から来ているものです。

外観は2層、内部は3層の望楼型天守は、大きな入母屋破風や長押を白木のまま見せる古風な造りで、格式高いものとなっています。と同時に、弓や鉄砲を撃つための狭間が数多く見られ、攻めてくる敵への備えも万全なものとなっています。

天守は、1948(昭和23)年の福井地震によって倒壊してしまいましたが、倒壊前の建材を使って元のとおりに修復されて現在にいたっています。

野面積みの石垣が残る

かつては五角形の堀があり、その中に天守や本丸、二の丸が建てられていましたが、現在見ることができるのは、天守と石垣のみです。天守を支える石垣は、自然石や切り出したままの石を加工しないでそのまま積んだ野面積みで、排水が良いために大雨でも崩れる心配がないといわれています。

周辺には多くのソメイヨシノが植えられ「霞ヶ城公園」として整備されており、「日本さくら名所100選」にも選ばれています。

4月の満開の頃には、ライトアップされた幻想的な桜と丸岡城を見に多くの人が訪れています。城内にある歴史民俗資料館とともに訪れ、丸岡城の歴史と魅力を感じてみてはいかがでしょう。

野面積みの石垣の上に建つ、望楼型天守をもつ丸岡城

        

天守1階にある階段。傾斜は65度。2階の階段も67度と、ともに急勾配。段差もあって登りにくい
2階部分。中央の柱はそのまま1階の梁の上に建てられている
3階からは坂井市の街並みや坂井平野が一望できる
丸岡城の特徴のひとつであり、全国的にもめずらしい石瓦が使われている屋根

写真提供 丸岡城管理事務所

<丸岡城>
別名:霞ヶ城
築城年:天正4(1576)年
築城者:柴田勝豊(しばたかつとよ)
種類:平山城
主な遺構:天守、本丸、石垣
問い合わせ:霞ヶ城公園管理事務所 ☎0776-66-0303
所在地:福井県坂井市丸岡町霞町1-59
アクセス:JR福井駅からバス約40分
http://www.maruoka-kanko.org