日本には杉や桧という日本独自の木があったから玄翁(げんのう)が生まれた。新たな道具は新しい技を創る。
玄翁は日本独自のもの。
玄翁(げんのう)という大工道具がある。金槌(かなづち)のことである。釘抜きや先のとがったものなどが付いた金槌をよく見かけるが、両側が打つ面だけの頭に柄が付いたごくシンプルな金槌を玄翁という。玄翁の頭は片方が平らで、もう一方がかすかに凸になっている。平らな方で釘を打ち、最後にひとたたき凸の方で打つと釘の頭は面よりめり込んで引っかかりがなくなりきれいな仕上げになる。
この玄翁は日本独自のものだ。韓国や中国ではこうした玄翁がないという。
日本、韓国、中国、それぞれの伝統的な大工道具
2012年に韓国の水原で、日本・中国・韓国の宮大工の棟梁が集まってシンポジュームがあった。2回目が2014年に日本で開催された。韓国からは大木匠(日本の人間国宝に当たる)申鷹秀氏、中国からは紫禁城の大木師匠・李永革氏、日本からは宮大工の小川三夫氏が参加した。棟梁の役割をはじめ墨つけの仕方や、それぞれの口伝や技法、修業の話しなどを交換したのだ。
それぞれの国の伝統的な道具の話しが出た。きっかけは韓国の無形文化財・崇礼門(南大門)の復元に、韓国伝統の道具だけで復元を試みたという話からだった。
韓国では植民地時代に日本の道具が持ち込まれたので、それが日常も多く使われているが、それ以前の道具を調査し、復元し、その技法を教え使ったという。
柄の真っ直ぐなチョウナ、枠ノコギリなど。三国とも多くは似たような道具であるが、少しずつ違う。根源は中国にあるのだが、素材になる木が違うために、道具を使いやすいように変えたり、伝わったのに材に合わず使われなくなって消滅してしまったものもある。職人たちの気質による選択もある。その話の途中で玄翁の話になった。
申氏が「韓国には玄翁はなかった」と切り出した。あの国の宮殿建築の材料は200年から300年の径が1メートルもある赤松を使う。かなり堅くて重い材である。「それに鑿(のみ)を打ち込むのに玄翁では重さのバランスが悪い。片方が先のとがった金槌だと叩く側に重心があるので、それを利用して振れば疲れない」という。なるほどと思った。
中国の李棟梁も、楠木(なんぼく)というクスに似ているが日本にはない材を使うから同じだと言う。
玄翁和尚(げんのうおしょう)が妖怪狐を退治
日本のように桧や杉のような材を使う国では、木肌を活かすから、仕上げが大事だ。最終工程に入ると、手垢(てあか)や汚れが付かぬように細心の注意を払う。汚れが後になって黴(かび)を呼ぶからだ。こんなふうだから釘の頭も処理する。玄翁は材の違いが生んだ道具なのだ。
因みに玄翁の名前の由来は、妖怪九尾の狐の伝説からきている。那須で殺された九尾の狐が殺生石に姿を変えて、近づく人を殺(あや)めたので、通りかかった玄翁和尚が大きな槌でその石をたたき割ったという。それ以来、その道具を「玄翁」と呼ぶようになったのだという。
船大工の使う技「木殺し」
木殺し(きごろし)というおどろおどろしい言葉が出てきたが、玄翁がなければできない大事な技のことである。
日本の川にはかつてたくさんの木の船が浮かんでいた。船は川ごとに姿がみな違っていた。急流での漁、淀みでの網漁、大きな川を上下する運搬、対岸に人を渡す。さまざま目的があった。それに合わせて伝統的な船を造る船大工が各地にいた。
船大工の使う技のひとつが「木殺し」である。30年ほど前になるが、熊野川の船大工・故中尾勉さんの仕事場で、ふしぎな作業を見た。
日本の川船は多くは杉材である。川船には西洋の船のような骨組みがない。「敷(しき)」と呼ばれる底板に「上棚(うわだな)」と呼ばれる側板がつき、「船梁(ふなばり)」という補強材が渡される。板同士は重ね合わせることはなく、「接(は)ぐ」。板と板を木口でくっつけるのだ。接ぐのに使うのは船釘(ふなくぎ)。船はほとんど曲線でできているから、船釘はみな曲げて使う。鉄釘は錆の原因になるから木の中にたたき込み、上から埋め木をする。とにかく水の漏らないようにぴったり合わせなくてはならない。
新たな道具は新しい技を作る
接ぐ作業を見ていたのだが、板を合わせる前に、木口(こぐち)を玄翁でとんとんとたたき始めたのだ。すべての木口をそうやった。何をしているのか尋ねたら、「木殺しをしている」のだという。杉の木は柔らかいからたたくと凹む。木口の縁は残し、内側を玄翁の凸部分でたたき接ぎ合わせると、時間がたつとそこが膨らんできてぴったし合うのだという。
「木は生きてますやろ、水を含んだら甦ってきますのや。そこを利用して漏らない船を造ってます」
日本には杉や桧という日本独自の木があったから玄翁が生まれた。新たな道具は新しい技を創る。使えば、仕上がりや性能がひと味違うのだ。そしてそれを評価する使い手がいた。日本のものづくりはこうして育ってきた。道具にも背景がある。