桜というと、花を愛でるものと思いがちだが、樹皮や材を素材としている仕事があり、職人達がいる。

雅楽で使われる楽器に龍笛(りゅうてき)というものがある。竹の笛である。名の由来は龍の出現を思わせる韻(いん)を奏でるという意味であろうか。音域の広い、胸の芯を揺する鋭い音を発する。

笛は聖なるものであり、魔を避け、呪を破るものでもあった。竹は乾燥すれば割れが入る。それを防ぐために笛の類は丈夫な紐で巻き、漆で固めてある。巻き付けられた紐は、絹や木綿、皮などではなく、山桜の樹皮を細く裂いたものである。重要文化財に指定されている笛は指を押さえるところを除いて、この樹皮をぎっしりと巻き付けてある。巻くことで美しさが増す。日本人の仕事である。

材は菓子型に

桜というと、花を愛でるものと思いがちだが、樹皮や材を素材としている仕事があり、職人達がいる。

使うのは土手や公園、校庭に植えられているソメイヨシノではない。西日本でいえば山桜、東日本、北日本でいえば大山桜。野生の桜の仲間である。

材は赤みを帯び、目が詰まって家具や椅子などに使われる。使っていると赤身が増し、艶が出る。和菓子屋さんが祝儀のさいの鯛などを模(かたど)った型菓子を作るときの型を彫る木も桜だ。浮世絵などの版木もそう。目が詰み、逆目がたたず、適度な柔らかさがあるのがいいのだろう。

こうまで使い道を見つけ出したのは、桜を愛する国民だからだ。花に惹かれ、木に関心を持つ。関心を持てば、材や樹皮の質を知る機会が多くなる。

桜の皮を樺(かば)という

龍笛に桜の皮を巻いたものを樺巻(かばまき)という。桜の皮を張った茶筒を樺細工(かばざいく)という。さまざま説はあるが、桜皮をなぜ樺というかは不明だ。各地でそう呼んでいた。

それにしても昔の人はどうやってこの表には見えない樹皮の美しさに気がついたのだろう。山桜が擦れたところを見た人が、何かに使えないかと思って持ち帰ったのではないだろうか。荒皮を刃物でこそぎ落とせば、光があたったときの水底のような透明な輝きが生ずる。桜には横目があり、目に沿って細く裂くことができるが、縦に切断するのは無理だ。それほど丈夫なのだ。

この性質を利用して、笛に巻き、山で働く人たちは鉈(なた)やノコギリの鞘(さや)を作るときに使った。二枚の板を縫い合わせるのに便利だったのだ。

スギやヒノキ、イチイなどで「曲げわっぱ」や「お櫃(ひつ)」などを作ったときに合わせ部分をかがるのにヤマザクラのリボンは欠かせなかった。それは紋様でもあった。

鹿児島の箕(「みの」作り職人は、竹で編んだ床の部分に山桜の皮を細く切り挟み込んでいた。こうして滑りを良くし実と殻を篩い分ける効率を上げるのだ。

幅広のリボンにしてカゴや鞄を編むことも出来る。二重編みで作った山籠(やまかご)。大きく切り取って、角を付けながら、組み合わせの部分をフジの蔓(つる)から作った樹皮糸でかがった炭入(すみいれ)。それは見事なものだった。

素材が豊富にあれば、さまざまな試みが行われる。そして、美しく、使いやすい物の追求が始まる。日本人ならの本能に近い道具美への執心である。

樺細工の模索

秋田県角館(かくのだて)町は樺細工の産地である。ここに樺細工の集団が出現したのは江戸時代のことだ。阿仁(あに)という北の集落から、技を導入し、下級武士の内職として山桜の皮を使った胴乱(どうらん)作りが広まった。

胴乱はキセル入れとセットになった煙草入れで、帯に差して使ったものだ。薬入れの印籠(いんろう)なども作られた。

どれも洒落者は素材や意匠に凝ったものを手に入れ、互いに自慢し合った。佐竹(さたけ)の殿様が樺細工の印籠を仲間の大名に見せたところ、誰も素材がわからなかったという話しが残っている。山桜の皮の中でも全く横目のない完全な無地で作ったものだったそうだ。

樺細工の道具は素朴な物である。荒皮をこそぐ包丁。寸法や形に合わせて切断するための切り出し。膠(にかわ)を塗る鏝(こて)。仕上げに磨くときにはムクの葉やトクサ。材料は桜の皮。芯や木地になる槻木(けやきのき)の経木(きょうぎ)など。

時代の要求に応え、胴乱から茶筒、お盆、小箱、文庫、名刺入れ、茶托(ちゃたく)などが作られ、今でも角館町の特産品である。

腕の良い職人達が意匠を競ったこともあったろうが、基本は問屋が材料を供給し手間賃を払い、土産物を作らせるシステムだった。それを工芸の位置に上げる手伝いをしたのは柳光悦(やなぎ・こうえつ)だった。仲間達と民芸運動を展開し、各地の手仕事を見て歩いたときに、樺細工に注目。新しいデザインを導入したら素晴らしいものになると、大東亜戦争のさなか、日本民芸館に職人を招き、一緒に新たな道を模索した。職人達は米と炭を持参し、芹沢銈介(せりざわ・けいすけ)らの指導を受けた。

地方の手仕事が変身するきっかけだった。蕗(ふき)や桜の形を貼り付けていただけの土産物が輝き出したのだ。その成果は『民芸』初期の号の特集になっている。

その時教えを受けた職人の最後の人が一昨年亡くなった。また樺細工は土産の位置に戻りつつある。それは生産者の問題もあるが買い手の意識の問題でもある。もの作りは、両者で育てあげるものなのだ。

老職人は言っていた。20年ごとに不景気がやってくる。腕のない人はここで落ちる。時代が技を磨くのだと。

文: 塩野米松 Yonematsu Shiono

1947年生まれ。秋田県出身。東京理科大学理学部応用化学科卒業。作家。アウトドア、職人技のフィールドワークを行う。一方で文芸作家としても4度の芥川賞候補となる。絵本の創作も行い、『なつのいけ』で日本絵本大賞を受賞。2009年公開の映画『クヌート』の構成を担当。聞き書きの名手であり、失われ行く伝統文化・技術の記録に精力的に取り組んでいる。主な著書『木のいのち木のこころ』(新潮社)、『失われた手仕事の思想』(中央公論社)、『手業に学べ』(筑摩書房)、『大黒柱に刻まれた家族の百年』(草思社)、『最後の職人伝』(平凡社)、『木の教え』(草思社)など多数。