神の使い・眷属(けんぞく)として、日本各地で今もなお崇め奉られる「狼信仰」を辿る。

山梨県丹波山村の七ツ石神社の存在を知ったきっかけは、2017年7月、東京都内で開かれた『狼伝承と登る 七ツ石山展』という催し物だった。 七ツ石山(標高1757.3m)は、東京都最高峰の雲取山の南東数キロに位置する。雲取山に登る際に通過する登山客も多い。天気が良ければ富士山や南アルプスの山々を望むことができる。
頂上近くには石灰岩の7つの岩塊があるが、平将門のお供の七人の武者が石化したものという平将門伝承が残る。神社は山頂直下に鎮座し、武者たちの霊を祀っている。

「なんでこんなところに神社が?」と思ってしまったが、自動車道路が便利だなと思い込んでいるからであって、昔は甲府方面や秩父方面への物や情報が行き来する、山伝いに続く街道の要衝でもあったのだ。だからこの神社の存在価値も大きかった。神社前では賭場も開かれていたという。

明治時代に神社は火災で一度消失したが、古文書「七石宮拝殿新築寄付帖」(明治27年)には、大事なので再建しなければならないとの意義や、三峯神社の奥の院であるとも記されている。江戸時代に三峯神社が幕府に報告した資料の中にも、「那那(七ツ)石大権現」という記載があり、これらの資料と伝承などから総合的に判断すると、七ツ石神社が三峯神社の奥の院だった可能性があるという。社殿は崩壊寸前だった。1対のお犬さま像の「うん形」はかろうじて形が分かるが、「あ形」の像は顔を失い、胴体も半分に折れて、もはや元の形を想像すらできない状態だった。

もう一度再建計画があるというので後日丹波山村を訪ね、地域おこし協力隊隊員の寺崎美紅さんから話を伺った。

七ツ石神社を村の文化財として指定し、平将門伝承と狼信仰の民俗的財産を活かし、村おこしにつなげていこうという計画だ。発掘作業を行った後に登山道整備とともに社殿を再建するという。お犬さま像も修復するとのことだった。

ところで、対応していただいた寺崎さんは、大の狼好きのひとりだとわかった。小中学時代には神話にはまり、日本の神話を調べている中で三峯神社の狼信仰を知った。大学では文学部に在籍し、卒論も「三峯講の研究」という筋金入りの狼好きだ。

1月には狩猟免許も取得し、11月の猟期には初めて自分の銃で猟に参加するという。

「山の生活をもっと知りたい。獣と対峙した時の感覚を生で感じたいと思っています」

寺崎さんにとっては、たんなる民俗学的な興味以上に、昔から続いてきた山の猟師たちの信仰そのものを自ら心と体に受け入れようとしているかのようだ。

「私にとって狼信仰は、山や自然との付き合い方そのものと言ってもいいかもしれません」

実際に私も、2017年8月、山梨県丹波山村鴨沢から雲取山への登山道をたどり多摩川の水源森林帯の中を約3時間、東京都と山梨県の境にある七ツ石山に登った。頂上の手前に倒壊寸前の七ツ石神社が鎮座していた。

『狼伝承と登る 七ツ石山展』で展示されていた写真パネルで見たとおり、社殿の柱は40度ほど傾き、支えている柱が絶妙なバランスでかろうじて倒れるのを防いでいた。いつ倒れてもおかしくない。その姿は痛々しいほどだった。

お犬さま像は確かに社殿の左右に2体あった。かなり古いもので、右側の一体「うん形」は姿をとどめているが、体や顔にはひび割れが入っている。左側の一体「あ形」は、顔の部分が失われ、胴体も半分に割れていた。ずんぐりむっくりした体形で愛らしい。狼というより、子犬のようでもある。素朴で荒削りなところは、子供の絵と同じで、原始的なパワーを感じるし、人工物が自然に帰っていく姿には胸に迫るものがあった。

狼信仰の神社は日本全国にあり、狛犬の代わりに、狼像が置かれていることが多い。それぞれの像は地域差もあり、バリエーションが豊富なことに驚く。あらためて石工たちの想像力には脱帽する。

寺崎さんは「村の人たちの気持ちの中に、完全に狼信仰がなくなったわけではないようです」と言う。

このプロジェクトに協力している画家の玉川麻衣さんが描いた狼の絵を原画とした手ぬぐいを、家の戸口に掲げている人もいるそうだ。昔、七ツ石神社でもお犬さまのお札が配られていたが、今は、狼の手ぬぐいがお札代わりにもなっているようだ。

狼信仰の神社の再建やお犬さま像の修復が、今の時代に行われる意味とはなんなのだろうか。