神の使い・眷属(けんぞく)として、日本各地で今もなお崇め奉られる「狼信仰」を辿る。

お犬さま信仰は、時代によって変化していることはすでに書いた通りである。
お犬さま信仰に求める人々の願いは、最初は、シカ・イノシシなどの害獣除けとして、その後は火災・盗賊除けとして、またコレラ除けとして時代とともに変化してきた。そして現代は、もうひとつ、別な意味が生まれている。

それが端的に表れているのは、東京都青梅市の武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)の「お犬さま」にちなんだ犬同伴の参拝ではないだろうか。
神社のHPによれば、お犬さまは、病魔・盗難・火難除けなどの災除けの神として、登山や旅行安全の神として、また、「おいぬ」は「老いぬ」にも通じるところから、健康・長寿の神であり、戌は安産・多産なことから、安産・子授けの神としての信仰を集めるようになっている。

現在、神社では犬同伴の参拝が認められていて(初詣の時期だけは制限される)、多くの愛犬家が、健康祈願などを行うために神社を参拝しているのだ。ペットに対する気持ちが、昔とは違って、愛するわが子同様に、家族の一員のような感覚に変わってきている。神社が愛犬家の要望を取り入れたのは、時代の要請とも言えるだろう。

御嶽神社へは、山麓の滝本駅から徒歩で登ることもできるが、御岳山駅までケーブルカーに乗ることもできる。犬同伴でも心配はいらない。このケーブルカーは犬も乗車できるのだ。(片道大人590円で、犬は130円。2018年9月現在)
犬を乗せるスペースは、一般客にも配慮されたケーブルカー車両の端にあるので、リードを繋いでいればそのまま乗車できる。

急勾配のケーブルカーは約10分で御岳山駅に到着する。そこから御師の宿や国指定天然記念物の「御岳の神代欅」や土産物屋を抜けていくと鳥居の前に出る。手水舎には犬専用の水場も設置されている。

江戸時代後期、御嶽神社のお犬さま信仰は関東一円に広がった。江戸・武蔵・多摩・相模など各地の御嶽講が建てた碑が参道の階段脇に立ち並んでいる。この碑の数を見ただけでどれだけ信仰が篤かったのかよくわかる光景だ。

長い階段を上っていくと、どっしりとした狛犬に守られた派手な色彩の拝殿に到着する。

御嶽神社には、三峯神社と同じように日本武尊の伝説も残っている。武蔵御嶽神社のHPより引用すると、
「日本武尊が東征の際、この御岳山から西北に進もうとされたとき、深山の邪神が大きな白鹿と化して道を塞いだ。尊は山蒜(やまびる)で大鹿を退治したが、そのとき山谷鳴動して雲霧が発生し、道に迷われてしまう。そこへ忽然と白狼が現れ、西北へ尊の軍を導いた。尊は白狼に、大口真神としてこの御岳山に留まり、すべての魔物を退治せよと仰せられた。」

拝殿の隣には社務所があり、お犬さまのお札やお守りを戴くことができる。お札は、左向きの黒い狼の姿が配されたものだ。お犬さまのお札としては、大型のものである。また、社務所では愛犬の健康祈願を受け付けている。予約は不要で、愛犬祈願は大口真神社の遥拝所で行われる。

境内には、複数のお犬さま像が存在する。拝殿背後の本殿登り口にブロンズのお犬さま像が鎮座している。立派な像だ。

さらにその奥には御岳山(929m)の山頂碑があり、隣には、オオカミを祀っている大口真神社が鎮座する。大口真神は、オオカミを神格化した神そのものだ。ここにも、たてがみも凛々しい一対の新しい石像が護っているが、これは平成19年3月に奉納されたものだ。

帰りは、ケーブルカーには乗らないで、滝本駅の駐車場まで登山道を下りた。駈け出したら止まれなくなるような急坂だが、これから参拝するという犬連れの人たちにたくさんすれ違った。

犬は元気に上っていくが、中には、額から汗を流して辛そうな飼い主もいた。しかし、「疲れる」と言いながらも、こんなふうに愛犬と登拝できることが幸せにだと感じていることは、飼い主の顔に現れている。

「お犬さま」は生物学的な「ニホンオオカミ」と同じではなく、あくまでも信仰上のイヌ科動物全般のイメージだ。日本では西洋とは違い、オオカミと犬との区別はあいまいな部分があったのだが、その理由は次号以降で詳しく書くことにして、とにかく「お犬さま」信仰に「オオカミ」ではなく「犬」が加わってもなんら不自然さはないというのが日本的でもあるだろう。

このように、お犬さま信仰に現代的なご神徳が加わっていく(新しい物語が生まれる)ことで、お犬さま信仰はこれからも生き続けていくのではないだろうか。
その時代の人々の意識的・無意識的な願望や価値観の受け皿になるように、神社側も変わっていかざるをえないのかもしれない。

文・写真: 青柳健二 Kenji Aoyagi

写真家。日本やアジアの風景を撮り続ける。とくに現在は人間と自然がいっしょに
なって作り上げた田園風景を求めて全国各地を旅している。主な著書に「メコン川」
(NTT出版)、「棚田を歩けば」(福音館書店)など。