日本の各地には、素晴らしい風景があります。そして、そこには様々な物語が刻まれています。ここでは、写真家・青柳健二が日本各地で切り取った後世に残しておきたい素晴らしい風景をシリーズでお伝えします。
今回は、愛媛県宇和島市の「遊子水荷浦の段畑」を紹介します。

「耕シテ天ニ至ル。貧ナルカナ。」

司馬遼太郎は『街道をゆく9 信州佐久みち、潟のみちほか』で、「明治中期にきた清国の政治家が、瀬戸内海を汽船で神戸へむかいつつ、内海の島々の耕作の状態をみて驚嘆してつぶやいたことばである。」と、これを李鴻章の言葉として紹介している。

また、孫文の言葉とする説もあるようだ。日清戦争後、下関講和条約の調印に訪れた李鴻章の言葉か、日本に亡命していた孫文の言葉か、誰の言葉かはっきりしない。いや、両者が発した言葉なのかもしれない。いずれも中国人が驚嘆しているのだが、当時、自国の雲南省や貴州省にはもっとすごい棚田や段々畑(中国では「梯田」)があることを、知らなかったとは思えない。知っていたなら、なおさら二人の中国人が同じ言葉を発したとしても不思議ではない。

前置きが長くなってしまったが、とにかく、外国人も驚嘆させた段々畑には、確かに圧倒される。その代表的な景観と言ってもいいものが、愛媛県宇和島市にある「遊子水荷浦の段畑」ではないだろうか。

宇和島市街地を抜けて、起伏に富んだ海岸線を車で走ること約40分、途中、案内板が出ていて迷うことはなかった。道のカーブを曲がると、巨大な褐色の壁のようなものが目に飛び込んできた。四国の西端に位置する水荷浦は、豊後水道に向かって延びる三浦半島の北岸から、さらに宇和海と宇和島湾の方に向かって分岐するもうひとつの小さな岬の突端にある集落だ。

それにしても、すごい! 宇和海を望む急傾斜地が全部石垣の段々畑になっているのだ。下の集落から見上げたとき、まるで巨大な城壁が立ちはだかっているように見える。宇和島あたりでは段々畑のことを段畑(だんばた)と呼ぶのだそうだ。

先人に対する尊敬の念が

水荷浦という地名は、水が乏しかったので生活水を担いで運んだことに由来するという。「耕シテ天ニ至ル」は有名な言葉になったが、本質は、言葉の後半「貧ナルカナ」にあるのだろう。今でこそ、この絶景を「美しい」と言えるが、昔は貧しさを象徴するような風景ということだ。裏を返せば、勤勉さが生み出した風景ともいえる。ここまでしないと生活ができなかったということを思えば、この風景も単なる「美しい」だけではないことに気が付き、先人に対する尊敬の念が湧き上がってくる。

段畑の上に登ってみるとますますその思いが強くなる。養殖いかだと沖合に浮かぶ黒島・御五神島などの小島が見える。農作業をするおじさんが「いい写真撮れました?」と声をかけてくれた。「すごいですね。こんな畑、初めてです」 。水田(棚田)はよく見ていたが、これほどの段々畑を今まで見たことはなかった。

約3.4ヘクタールに約1000もの畑がある。平均勾配は約40度で、石垣の平均の高さは1m以上にも及ぶ。各段の幅は1~2m程度の細長い畑になっていて、それが最も高い所では海抜60mにまで達している。段数は約50段だ。石垣のところどころには、上り下りするための石段があり、左右の両端は通路と大雨の時の排水路を兼ねた石組の溝になっている。真ん中には収穫物を運ぶためのモノレールも設置されている。

ここでは、サツマイモ(馬鈴薯)を栽培しているという。11月に植えつけて、翌年4月に収穫するそうだ。おじさんは漁師でもあった。湾に浮いているのは養殖筏で、タイ・ハマチなどを養殖しているという。

水荷浦のおこりは江戸時代にさかのぼる。

当地を治めた宇和島藩(宇和島伊達家)は、国内屈指の鰯の漁場だった宇和海の開発に力を注ぎ、沿岸部には新しい漁村が次々とできた。その中の1村が水荷浦だった。

江戸時代終わりごろになると、サツマイモが伝わり、重要な作物として沿岸部一体で栽培されるようになった。広い耕作地がない沿岸部は、人口増加に伴って斜面に段畑を造り始めるようになった。そして明治末から大正ごろに段畑の石垣化が進んだ。

農業には厳しい地形だったので、昭和30年代以降に段畑は相次ぎ耕作放棄地となって森に戻ったが、水荷浦だけは約20戸の農家がジャガイモを栽培しながら保全してきた。

遊子水荷浦の段畑は、「日本農村百景」などに選ばれており、2007年7月には全国で3例目の「国の重要文化的景観」に選定された。イワシ漁やハマチ養殖などの漁業、サツマイモ栽培などの農業というふうに、半農半漁の土地利用を示す独特の景観を保全している点が、重要文化的景観に選ばれた理由になっている。

この重要文化的景観を守るため、NPO法人「段畑を守ろう会」を中心として、多様な活動が行われている。

春には、ジャガイモの即売会をメインにする収穫祭「ふる里だんだんまつり」、夏には、竹とロウソクによる行灯で段畑を照らすライトアップが開催される。またふもとにある「だんだん茶屋」では地元の新鮮な野菜・魚を使った食事を提供し、直売所では段畑で収穫されたジャガイモを原料にしたオリジナル焼酎「段酎」も販売されている。