山形県指定無形民俗文化財「黒森歌舞伎」は、江戸時代中期の享保年間(1716~36年)から酒田市の黒森日枝神社に奉納されている農民歌舞伎です。280年以上もの間、地域の人々の運営により伝承され、演目の豊富さとスケールの大きさは全国屈指。毎年2月15・17日に行われ、雪の中で観ることから「雪中芝居」とも呼ばれています。

みぞれの中、100名以上の観客が県内外から集まり、迫真の演技を楽しんだ。上演されている演目は歌舞伎の三大名作の一つといわれる『菅原伝授手習鑑』

若い世代が団結力で牽引、それを支える周辺の人々。

人口約1,300人、370世帯が暮らす酒田市黒森地区、ここに伝わる黒森歌舞伎は、役者も裏方も演出もすべて地域の人たち。旧正月にあたる極寒の時期、屋外の舞台で繰り広げられる熱い芝居を、全国から訪れる観客は寒さに耐えながら楽しみます。

「祖父も父もこの歌舞伎の舞台で演じていて、それを小さい頃から観てきたから、自分も芝居をするのは当たり前。一年に一回、化粧の匂いを嗅がないと落ち着かない(笑)」。そう話すのは、黒森歌舞伎一座の座長を務める佐藤進一さん。

座員は7歳の子役から90歳の裏方まで40名ほどで、中心となっているのは20〜40代の若い役者たちだといいます。

昔から40代後半になると役者を引退し、運営にまわって後進に道を譲るのが黒森流。主役の立役として人気者だった座長も、舞台を下りて15年になります。

「今の若い連中はすごく仲がいい。役者や裏方が足りないと、すぐに仲間同士で先輩、後輩を誘って、気づいたら座員が増えています。同世代が誘うから、やってみようとなる」と語る佐藤さん。一座の若者は、歌舞伎に参加する理由として「練習が終わった後、みんなでお酒を飲む時間が幸せ」「子どもから年配の方まで、いろいろな世代と話ができて勉強になる」と、仲間と一緒に過ごす時間の楽しさを挙げます。世代を超えた団結力が継続の源なのです。

左上下/『菅原伝授手習鑑』の二幕目「佐太村賀の祝の場」。右/三幕目「寺子屋の場」。主人公の松王丸の衣装は、かつて11代目市川団十郎さんが着ていたもの。

「拍手や喝采をあびると単純に気持ちいい。根が目立ちたがり屋だから、舞台の感覚を知るとやめられない」。そう話すのは今年の演目『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』の二幕目「佐太村賀(さたむらが)の祝いの場」で、梅王丸を演じた24歳の坂東烈矢さん。10歳で初舞台を踏み、役者歴は14年になります。 坂東さんは「子どもの頃は歌舞伎が何かも分からず、舞台に出ていました。高校生くらいまでは、恥ずかしさがあって、真剣になれなかったけれど、大役をもらうと責任感が生まれ、必至に練習するようになる。台詞の言い回しができるようになると、面白くなってくるんです」と話していました。

三幕目「寺子屋の場」で戸波を演じた32歳の市川鉱也さんは、夏頃に役をもらうと、台詞を覚えながら、昔の映像を見て動きを稽古し、同じ演目の江戸歌舞伎と見比べ、黒森のやり方を研究するそうです。市川さんは語ります。

「黒森の歌舞伎は、感情を強調してアピールするのが特徴。昔から伝わるやり方をくずさないように、黒森の味わいある部分を磨いていきたいと思っています」
舞台に上がるからには真剣勝負。観客を楽しませたいという役者魂は、若い世代にしっかりと根づいています。

少年歌舞伎は新たな演目に挑戦。

一幕目『吉田社頭車引の場(よしだしゃとうくるまひきのば)』は、黒森小学校の高学年の子どもたちが演じる少年歌舞伎。 黒森地区では15年前から学校の授業として、歌舞伎への参加が取り入れられています。この仕組みが、歌舞伎に興味を持つ子どもを増やし、後継者育成に役立っているのです。このような新しい取り組みを実現していく地域の人たちの行動力も、黒森歌舞伎を支える屋台骨となっています。

黒森小学校の生徒による『菅原伝授手習鑑』の一幕目「吉田社頭車引の場」

少年歌舞伎といえども真剣さは大人と同じです。昨年までは『白波五人男』が演じられていましたが、今年からは大人と同じ演目の一場面を演じることに。主役級の4名の5〜6年生は、昨年の夏休みから懸命に稽古を重ねてきました。しかし、演目が難しいこともあり、保護者や先生などの間には「学芸会レベルでは許されない」「本当に歌舞伎になるんだろうか」という危機感が漂い始めます。「みんなで相談して、1月からは本歌舞伎の役者にマンツーマンで特訓してもらったんです。それからは『本当にこれでいいのか?』と不安そうだった子どもたちの顔つきが変わり、自信がみなぎってきました」と6年生の担任教諭は語ります。

みぞれが降る中で始まった本番当日の舞台では、ぬれた花道で転んでかつらが飛ぶハプニングがあったものの、子どもたちの熱のこもった演技に、観客は大いに盛り上がりました。客席の後ろから心配そうに観ていた座長も「上手かった! たいしたもんだ。見得(みえ)も決まった!」と満面の笑み。座員と大人たちがほっと肩の荷を下ろすと、やさしい空気感が会場全体を包みました。

本物の歌舞伎にこだわり、本気で作るから面白い。

江戸時代から引き継いでいる台本や衣装、かつらなどは、江戸歌舞伎と同じ本格的なもの。細部まで妥協せず、本物の歌舞伎を作ることが、黒森歌舞伎のこだわりでもあります。だから舞台に上がれるのは男性だけ。この決まりが破られたことはありません。女性たちは衣装部、床山部など裏方として、着つけやかつらを担当します。役者たちは化粧を自分でしますが、着つけとかつら合わせはお任せなのです。

本番前の舞台裏。衣装部の女性たちに着つけをしてもらう子どもたち。年配者も子どももみんな一丸となり、歌舞伎を作る。
本番前の舞台裏。衣装部の女性たちに着つけをしてもらう子どもたち。年配者も子どももみんな一丸となり、歌舞伎を作る。

本番当日、最も忙しそうにしていたのは裏方の女性たちでした。40以上の役の衣装とかつらを、土蔵から出しては着せて、朝から夕方までひっきりなしです。35年も床山を担当している西岡千代江さんが教えてくれました。

「ここの人は、着つけでも髪結いでも、見よう見まねで自分から覚える。私らには先生も生徒もいないよ」

役者たちと同様、主体的に参加して自分で勉強し、責任を持って役割をこなす。座員はみんなこの精神を引っさげて、歌舞伎に参加しているのです。

幕間は大道具部が大忙し。黒森歌舞伎では衣装600点以上、かつら50点以上を保存。古いものは江戸時代の開村当時から伝わっている。

ほかにも精進料理で歌舞伎弁当を作ったり、郷土料理の呉汁や甘酒を振る舞ったり、地元のお母さん方や婦人会などが、いろいろな形で参加。地域の人みんなが歌舞伎を盛り上げようとがんばっています。

会場の神社の隅々にまで息づく歌舞伎への情熱と真摯さ。この場所に訪れ芝居を観れば、地元の若者を夢中にさせる、黒森歌舞伎の吸引力の強さが分かります。本気で取り組む芸事だから、大勢人の心を動かす。本物の歌舞伎を作るという真剣さが、人の気持ちをつなぎ、いつしか作る人も観る人も巻き込まれていく。 夕方、みぞれが雪に変わった頃、暗くなってきた会場では、幕が閉まるのを惜しむように、芝居が続いていました。

来年の演目は毎年3月の「太夫振舞(たゆうぶるまい)」という神事で決まります。
来年も再来年も、ずっと先の未来まで、ここで演じ続けられていく歌舞伎。それを伝えるように、黒森の夜はそっと帳(とばり)を下ろしました。
(この記事は2013年2月15日に取材されたものです。)

幕間は大道具部が大忙し。黒森歌舞伎では衣装600点以上、かつら50点以上を保存。古いものは江戸時代の開村当時から伝わっている。

黒森歌舞伎

住所:山形県酒田市黒森村中47 黒森日枝神社境内

問い合わせ:酒田市教育委員会 社会教育文化課 文化財係

TEL:0234-24-2994