手仕事は師匠から弟子に写し取らせることで継いでいく。それは二枚の紙を貼り合わせるかのようだ。ぴったり重なればそのまま伝承される。少しのずれは進歩か後退か。その判断は後世の人がする。ただひたすらに修業を積む。修業の場は実践の場。そこからやがて名工が生まれてくる。
文 : 塩野米松 Yonematsu Shiono / 写真 : 菅原孝司 Koji Sugawara
しなやかな鹿革に漆が艶めく、秘伝の革工芸
鹿革に漆を用いて装飾を施した物を印傳という。正倉院や東大寺に1000年を越える伝承品が残っているというから、ずいぶん古くから、しなやかで丈夫で美しい装飾革を作る技が生み出されていたのだ。当時それらを印傳といったかはわからない。江戸時代・寛永年間(1624-1645)に幕府に献上されたインド産の装飾革から「印傳」の名が付いたとつたえられているからだ。正倉院に残っているのは足袋、東大寺の物は文箱だが、日本では古くから馬具や甲冑に使われていたというから、その技は日本各地に広まったものらしい。それが江戸時代になると巾着や煙草入れなど粋な小物として使われた。広く愛用された品々が時代の流れの中で廃れ、消えていった。
そうしたなか、甲州では、江戸期から印傳の産地として知られ、今に伝統を引きついでいる。それが「甲州印傳」である。
甲州印傳は400年を越える技を継承してきたのである。
そのなかでも甲府市の「印傳屋」は老舗の筆頭。現在十三代続く老舗である。
印傳屋の当主は代々上原勇七を名乗って技を守ってきた。長い間、長男だけに口伝で技を伝えてきたのだ。
技法を守るため、伝承の技を公開
しかし、伝統の技も優れた品物も時間のヤスリの中では廃れていく。それはほかの産地が消えていったことでもわかる。このまま伝統を守るだけでは印傳が廃れるのではないか。今の13代当主勇七氏はそれを危惧し、秘伝の技を公開することにした。
印傳の技法を守るために敢えて公開し、それを知ってもらってこそ技は残せると判断したのだ。
技は人から人へと渡していくものである。公開したからといって誰でもが真似できるものではない。材料や道具の入手法、その良し悪しの吟味。一個一個の工程に隠された勘と微妙な手さばき。道具の改良や工夫も長い経験が生み出したもの。
手技は人のリズムで出来上がっている。訓練された体は自由に動き、その動きが加減を調節する。ゆっくり、丁寧にやれば、いい物が生まれるわけではない。
積み重ねて手にいれた職人のリズムが良品を生み出すのだ。体に記憶させたこと全てが技法なのである。それを残し、継承していくためには、お客に喜ばれ、自ら誇りの持てる品を出し続けていくしかない。客は品物の善し悪しを判断し、技の継承を左右する判定人なのである。
一工程一工程に経験の集約がある
甲州印傳には大きく二の技がある。
一つは燻べ(ふすべ)という煙で鹿革に文様を浮かび上がらせる方法。二つ目は型紙を使って革の上に漆で文様を描く技術。
燻べを行う部屋に入ると、ワラを燻した煙のにおいが鼻をくすぐる。竃(へっつい)そっくりの土窯からもくもくと白い煙が上がっている。
竃の中には稲ワラが詰め込まれている。この詰め方で、煙が上手く上がるかどうか決まるという。隙間が多ければ、火が付き燃え上がってしまう。燻べに熱は要らない、煙が欲しいのだ。そのために作られた独特の竃である。
竃の上にはサワラ材で作られた太鼓と呼ばれるドラムが回っている。太鼓には鹿の皮が細い釘でぴったしと貼られている。
煙の調節をし、太鼓をゆっくり回す職人が、燻べの担当である。
彼は竃も築く。順調に燻し続けられる窯を築くには、経験が必要である。理想の形はあるが、数字だけでは再現できない。習得するには失敗を重ねるしかないのであるが、仕事は全て大事なお客からの注文である。そうした重荷の中で、悩みながら答えを見つけるしかない。先人の窯を見、どこが違うのか、なぜ自分の窯はそうならないのか。全てがそうやって行きつ戻りつしながら習得してきた。
鹿皮が煙を吸収し、次第に色づいてくる。色が濃くなるにつれ、防染(染められないようにすること)のために置かれていた糊や糸の跡が紋様になって浮かんでくる。燻べが終われば、この糊が剥がされ、茶色に染まった地の上に真っ白な紋様や文字、屋号が浮かび上がる。これが印傳の技法の中で「燻べ」という一番古いものだ。
太鼓からはずされた皮は、しっとりと柔らかで、皺が出来ない。豚や牛や羊のように皮革加工をする必要がない鹿皮が持つ特性を十分に発揮させた伝統の技である。
技を継ぐにはまず人を作る人作りが継承の秘密
型紙を使って、地を染めた鹿皮の上に漆で絵付けしていく上原家伝来の方法がある。
単色の柄を描くほかに、型紙を何種も使って多色刷りにする「更紗」がある。
使用される型紙は伊勢型紙。和紙に柿渋を塗り、一枚一枚彫刻刀で彫っていく無形文化財指定の技だ。その紋様は180種に及ぶ。伝統の工芸の支えがあって甲州印傳は成り立っているのだ。
絵柄を描く漆は生ものである。空中の湿気や温度差によって微妙に硬さが変わっていく。その加減を篦で練ることで調節し、型紙に置くことで漆付けしていく。職人達は作業場で、黙々と作業をこなしていく。
燻べや型紙による絵付けが終わればが、縫製され、商品が生まれていく。技を引き継ぎ、次世代渡していくのは人。
人を育て、時代の中で技を生かしてきたことが、甲州印傳が生き残ってきた秘密かもしれない。