日本各地には、人々の暮らしの中から生まれ、人々によって口承されてきた様々な言い伝えや物語があります。これらは「民話」として総称され、その風景と共に人々の間で語り継がれて来ました。
ここでは、今でも各地に語り継がれている民話と、その民話を生んだ風景を、写真家・石橋睦美が訪ねます。
文・写真 : 石橋睦美 Mutsumi Ishibashi
日光・神橋「山菅の蛇橋」
清流走る大谷川(だいやがわ)を渡る橋が神橋(しんきょう)である。今では朱と黒の漆を塗った華麗な木造橋だが、二荒山(男体山)開山以前の時代に橋はなく、神域への行く手を阻んでいた。
二荒山の開山は天平神護2年(766年)に遡る。下野の僧沙門勝道によって成された。神座す二荒山を目指し、勝道たち一行は大谷川の辺りに辿り着く。だが、行く手を阻んだのは急峻な山壁に挟まれる大谷川であった。どうしても渡れぬ急流を見て、勝道は一心に祈念した。すると対岸に身の丈一条もある大男が現れた。形相は凄まじく、右手には青と赤の二匹の蛇が絡みついていた。そして我は深沙大王で汝らを対岸に渡してやる、という。その直後であった。大谷川の両岸を結ぶ虹とも見える綱が浮き出た。それは二匹の蛇であった。いつしか蛇の背に山菅が生え出した。これを見て勝道たちは山菅につかまり対岸に渡り、振り返ると、すでに深沙大王も蛇も消え失せていた。夢のような出来事によって大谷川を渡った勝道たちは難行を重ね、ついに二荒山山頂を極めたのであった。以来、この橋を山菅の蛇橋と呼ぶようになった。
時は移り、大同三年(808年)、橘利遠により大谷川に橋が架けられた。請け負ったのは山崎太夫長兵衛、彼は川の両岸に乳の木と呼ぶ桁を渡し、板を引く橋を考案した。以後、橋は幾度も架け替えられ、工事は神事とされ、限られた大工だけが従事した。現在のような橋になったのは寛永四年(1792年)である。