長く複雑な海岸線から、内陸の山岳地帯まで、高低差も大きく変化に富んだ地形の島国・日本。それぞれの環境に合わせ、さまざまな樹木が組み合わさって、多種多様な森林を形成しています。ここでは植生の違いを中心に分類しつつ、ぜひ訪れていただきたい、魅力あふれる森をご紹介します。
今回は、青森県の八甲田山です。

火山活動の年代による景観の違い

青森市から南を望むと、円錐形の山々がひと塊りになった連なりが目に止まる。八甲田山である。コニーデ型火山が狭い範囲に次々に噴出してできた山地だが、この山並みは大きく分けると二つの山塊になる。北部は山頂部に荒々しい火山地形を顕著にしており、南部はなだらかな山稜帯となっている。このような対照的な地形が生まれたのは火山活動の年代によるのであって、浸食の進んだ南部は北部に比べ、火山活動の時期が古いと知れるのである。

八甲田山はだいぶ若い時代からたびたび登っていた山である。撮影テーマが山岳から森林に移った時代にもそれは続いていて、特に南八甲田の山麓の蔦川から、十和田湖に至る奥入瀬渓流へはいまでも足を向けている。

緑林を流れる奥入瀬渓流
奥入瀬渓流

全国のブナ林を巡る旅の始まり

私にとって想い出深い出会いがあったのは、89年の夏の昼下がりであった。奥入瀬渓流を撮影していて、一本の樹がなぜか私の心を魅了したのである。その年、焼山にある宿で登山の後の休暇を楽しんでいた。そんなある日、川畔に頑丈な根を張って樹幹を迫り出させた樹を見つけた。樹は見るからに不安定な樹形をしたミズナラだったが、私はその樹形に強烈な生命力を感じ、夢中でシャッターを切った。

その時に撮影した一枚の写真が冊子に掲載されて数日後、ある編集者の眼に止まり、それがきっかけで山岳写真の世界から足を洗い、全国のブナ林を巡る旅を始めたのである。私の撮影意識を変えた奥入瀬川のミズナラだが、数年後に訪ねてみると台風によってなぎ倒されていて、さらに一年後には渓畔の骸となって消え去っていた。

奥入瀬渓流

落葉広葉樹の森の佇まい

96年の初夏、久しぶりに蔦の森を訪ねてみた。八甲田山の湧水に満たされる蔦七沼の辺りの森を撮影しようとの試みであった。この時に私がイメージしたのは、水が溢れ出てくるような緑に彩られる落葉広葉樹の森の佇まいを映像に止めようとの思いであった。それにはヤマセが吹く初夏が最適である。

林床に繁茂するシダ
緑深い菅沼

霧雨は森の隅々まで淡い緑に染め上げた

数日前からヤマセによる冷たい雨が森に降り注いでいた。これならば私の思い描いた風景に出会えるだろう。そう期待を抱いて森に入った。森に点在する沼を巡り、菅沼の辺りに立った時であった。一本の細い道が森の奥へ続いているのに気づき行ってみた。林間を辿ってゆくと、今までとはどこか違う森の姿が現れてきた。リョウメンシダとオシダが林床を埋め尽くす緩い傾斜地へ出た。そこはカツラとトチの巨樹が林立する森であった。

湧水のせせらぎが森に谺し、樹と水が織りなす夢のような空間を作り出していたのである。その森に佇んでいると細かな雨が降り出してきて、木立を水彩画のように霞ませた。ただでさえ美しい風景なのに霧雨は初夏の緑を映し、森の隅々まで淡い緑に染め上げたのであった。そんな光景は前にも後にもそれっきり見たことはない。

カツラとトチノキの森
蔦の森

私の心を魅了した蔦沼の森

もうだいぶ前になる。晩秋、凍りつくように冷え込んだ朝であった。夜明け前に蔦沼の辺りに出てみると、やがて朝日が登り葉を落とした沼畔のブナ林を真紅に染めた。その色彩の鮮やかさは今でも脳裏に焼き付いている。それ以後、私が撮影した朝の蔦沼と同じような写真をよく見るようになったが、私の心を魅了した蔦沼の森の光景は、その朝の空気感とともに心に染み込んでいる。

しかし、折々に出会う風景は二度と再び現れることはない。いま振り返ると、八甲田山を訪れて知り合った人々との出会いとともに、過ぎ去った歳月が想い出され、哀愁として心に刻まれるのであった。

月沼梅花藻

文・写真: 石橋睦美 Mutsumi Ishibashi

1970年代から東北の自然に魅せられて、日本独特の色彩豊かな自然美を表現することをライフワークとする。1980年代後半からブナ林にテーマを絞り、北限から南限まで撮影取材。その後、今ある日本の自然林を記録する目的で全国の森を巡る旅を続けている。主な写真集に『日本の森』(新潮社)、『ブナ林からの贈り物』(世界文化社)、『森林美』『森林日本』(平凡社)など多数。