長く複雑な海岸線から、内陸の山岳地帯まで、高低差も大きく変化に富んだ地形の島国・日本。それぞれの環境に合わせ、さまざまな樹木が組み合わさって、多種多様な森林を形成しています。ここでは植生の違いを中心に分類しつつ、ぜひ訪れていただきたい、魅力あふれる森をご紹介します。

太古は満々と水をたたえ湖

関東平野から北を望むと、日光の山並みに目が止まる。その日光連山の山域中で、最も山懐に入り込んだところが奥日光と呼ばれる。白根山を始め、男体山や太郎山など、多くの火山に囲まれた広い谷間で、大谷川の源流部を形成している。この谷間には湯の湖、戦場ヶ原、中禅寺湖が上流から下流へ列を成して点在している。どれも火山の噴火によって流れ出た溶岩が、河をせき止めて作った湖沼や湿原である。

今では乾燥化が進む戦場ヶ原だが、太古は湖であった。当時を想像してみると、おそらく中禅寺湖のように満々と水をたたえていたことだろう。しかし、どれほどの歳月を費やしたのかはわからないが、やがて湖水は泥炭に埋められ、尾瀬ヶ原のような高層湿原に変化した。さらに周辺の山々から流失した土石が湿原を埋め、現在は湿原から草原へと移行する過程にある。

朝の湯の湖
早朝の戦場ヶ原
ホザキシモツケ咲く戦場ヶ原の夏

その森林の豊かさに驚かされる

以前から奥日光へはたびたび訪れている。森を撮影するようになって奥日光の自然を見直してみると、奥日光の森林の豊かさに驚かされる。

光徳沼から逆川沿いに戦場ヶ原へ出て小田代原を過ぎて、西の湖畔から千手ガ原までを歩いてみたことがある。このコースを辿ると、山際では針葉樹林、水辺から少し離れた台地ではミズナラとハルニレの巨樹林。戦場ヶ原の湯川の畔りではシラカバとカラマツ・ズミなどの拠水林が見いだせる。特に興味深いのは戦場ヶ原の植生である。周縁部ではシラカバやカラマツ・ズミなどの樹々が無数に生えだしているのを目にする。

だが湿気の多い中央部では、ホザキシモツケなどの低木と、湿地性草本が目立っているのだ。この植生が今後の戦場ヶ原の風景を予感させる。やがてはミズナラやハルニレなど、高木が繁茂する森に変遷すると思われる。ただ、それでは終わらない。乾燥化が進み土壌が安定してくると、オオシラビソやコメツガ、クロベなどの亜高山帯針葉樹が森林の構成樹に変わるはずである。

金精峠路より望む湯の湖畔の森林
秋の光徳沼から男体山
光徳沼畔のズミ

日本鹿の食害が

西の湖畔の森を訪れると、素晴らしいミズナラの巨木林を見ることができる。もうだいぶ前になる。最初にここを訪れた時の印象は忘れられない。丈の低いミヤコザサが林床にびっしり繁茂していて、素晴らしい森林風景を描き出していた。それから数年して訪れると、林床のミヤコザサが消滅していたのだ。ニホンシカの食害が原因であった。これにより森は荒廃してしまった。だが、つい最近、久しぶりに西の湖畔を訪れてみた。するとシカ侵入規制の防護策が設置されていて、そのせいだろう。林床に緑葉が蘇っていたのだ。ただ私が最初に見た美しい森林相とは違っていた。林床を覆っているのはミヤコザサではなく、多年草の草本類だったのだ。

奥日光の森を探勝していると、自然が変遷する形が見えてくる。湖沼は泥炭層によって埋められると湿原に変化し、泥炭がある程度の厚みを増してくると高層湿原となる。その高層湿原は土砂の流入などによって乾燥化が進むと、ついに樹木が侵入し始める。初めは陽樹と呼ばれる日差しを好む樹々だ。だが、やがて、高木となるハルニレやミズナラが生えだしてくると、最初に森を形作った樹々は消え去ってしまう。しかし、それはまだ森が変遷する上では最終段階ではない。いつしか陰樹と呼ばれるブナが森林の優占樹となるはずだ。

湯の湖の星空
湯滝

森は長い年月で変遷していく

しかし奥日光は標高が高いので、最終的な森林帯としては亜高山帯針葉樹林になるのではないだろうか。それが森林変遷の最終段階で、このような森の形を極相林という。極相林とは森が進化する過程で、自然環境が変わらない限り、森の構成樹種は未来永劫変わることはない森を言う。では日本では、極相林を形作る樹種とはどのようなものがあるのだろう。照葉樹林ではシイやカシの森林。落葉広葉樹ではブナ林。亜高山帯林ではオオシラビソやコメツガ・ウラジロモミなどの針葉樹が優占する森である。このような森になるまで、600年以上をかけて森の構成樹種は変遷してゆく。 

では現在、奥日光で最も目立つ森と言えばミズナラ林である。ただミズナラが優先する森は極相林とは言えない。全国を見渡してミズナラの巨樹が純林を成す森は意外と少ない。ミズナラは陰樹と陽樹の双方の性質を兼ね備えているために森の優占樹になりづらい。落葉広葉樹林では、陰樹の性質が強いブナが優占樹種となる。こうした視点で奥日光を歩いてみると、森林が変遷してゆく段階をつぶさに知ることができるのである。

西の湖畔のミズナラ林
戦場ヶ原雌雄編の冬のミズナラ林

写真・文: 石橋睦美 Mutsumi Ishibashi

1970年代から東北の自然に魅せられて、日本独特の色彩豊かな自然美を表現することをライフワークとする。1980年代後半からブナ林にテーマを絞り、北限から南限まで撮影取材。その後、今ある日本の自然林を記録する目的で全国の森を巡る旅を続けている。主な写真集に『日本の森』(新潮社)、『ブナ林からの贈り物』(世界文化社)、『森林美』『森林日本』(平凡社)など多数。