超満員の湖岸の展望ステージからの撮影である。ダイヤモンド富士であまりにも有名な田貫湖、最近は観光バスのツアーも組まれ日本中からカメラマンが押し寄せる。4月と8月のダイヤの次に人々を魅了するのが、2月から3月上旬までの夕暮れの光景である。夕陽に富士の積雪が、赤、黄金色、青と変化し染まる様はとりわけ格別である。運が良ければ逆さ富士にも遭遇できる。心安らぐ穏やかさ、澄み渡る静寂感、ゆったりと流れる贅沢なとき。その自然と人が溶け合う玉響(たまゆら)は、自分自身が何に属しているかを、人々に問いかけるかのように、静かに音もなく過ぎ去っていった。

写真・文 : 岳 丸山 Gaku Maruyama

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富士を撮る、ということ

富士山の撮影を続けていると、様々な自然現象に巡り会い、その不思議さに驚嘆させられる。

今回は、富士宮の田貫湖で体験した光の波長のエピソードを紹介する。 大寒から3月の上旬までの一カ月間、まさに富士山撮影は佳境に入る。寒気が強ければ強いほど大気は澄み渡り、光は鋭さを増す。ここ田貫湖も例外ではなく、年に一度の奇跡の光景がこの時期に姿を現す。テレビの富士山番組で、よく「奇跡の光景」という表現を耳にするが、単なる常套句に過ぎない場合が殆どである。しかしここで言う奇跡は本物である。 ドラマは日没直前から幕を開け、日没後20〜30分まで続く。光(可視光線)は、波長の長さによって色が変わる。一番長い波長は赤(上界)であり、一番短い波長は紫(下界)となる。虹の七色はこの波長の長さ順にスペクトルが並んだ円弧状の光であり、赤、オレンジ、黄色、緑、水色、青、紫と考えられている。可視光線より波長が短くなっても長くなっても、人の目には見ることが出来なくなる。可視光線より波長の短いものを紫外線、長いものを赤外線と呼ぶ。田貫湖の真冬の夕暮れは、まさにこの現象を目の前ではっきりと体感出来る。

運良くその場面に巡り会えたことが一度だけあった。2月上旬の冷え込みの厳しい快晴の夕暮れ時、私はやっとチャンスが巡ってきたと判断し田貫湖へ向かった。私の家から田貫湖までは約一時間。自宅で天候を確認してから出かけても間に合う距離である。到着すると既に撮影ポイントには黒山の人だかり。遠慮しつつ失礼のないよう、狭い空間を探し少しずつ最前列に進む。様々な経験値の異なるカメラマンが集まっていた。経験値の違いは、使用している三脚を見ると一目瞭然である。 定めたポイントになんとか到着、カメラをセットしてその瞬間を待つ。まず光の波長は、一番長い赤が届き、富士の積雪をピンクに染める。次にはっきりと識別出来る黄色が届き積雪は黄金色に輝く。その間、微妙な色の変化が連続するが、田貫湖の夕暮れ写真は、この二枚が撮影出来れば上出来と言え、通常はそこで撮影は終了する。

私も黄金富士が撮れた時点で、十分満足し帰り支度を始めたその時、隣で撮影していた老カメラマンが、「あんたもう少し待ってなさい!もう一度染まるから!」と言って私を引き止めた。撮影を終えたほとんどの人々は、満足げな顔で帰路につき、私と老カメラマンの二人の他、数人だけがステージに残った。十数分も待っただろうか、老カメラマンの言った意味がはっきりと理解出来た。モノトーンに冷めていた富士の積雪が、徐々に再び染まり始めたのである。今度は鮮やかな青である。富士の積雪は勿論、大気全体が青みを帯び、今まで写真では見たことのない青の世界が眼前に広がった。

光の波長の原理は多少分かっていたが、これほど鮮やかに染まる瞬間を見たのは初めてであった。それもそのはず、光の波長の変化は、連続的な移り変わりをするものと認識していたにもかかわらず、なぜ下界の青に変化するまでに10数分もかかったのか?それは田貫湖という地理的条件がそうさせるのか?それとも日没後の光の屈折状態による田貫湖独特の現象なのか?黄色から青への変化は、本来このくらいの時間を要するものなのか?結局未だにその答えは見つからないままである。

その後、何度かトライを繰り返したが、二度と撮影チャンスには巡り会えなかった。 目を疑うほどの絶景が、富士山周辺には溢れている。長年富士を撮り続けるカメラマンは、必ずその瞬間を幾度か体験しているに違いない。そして最後は「富士の病」(不治のやまい)にかかり、明けても暮れても富士山だけの生活がスタートするのだ。 「合掌!」

写真・文: 岳 丸山 Gaku Maruyama

静岡県在住。総合商社に勤務するも持病の心臓病が悪化した為、2003年退職。二度目の手術を受け奇跡的に生還。術後リハビリを兼ね富士山撮影を開始する。2007年から、写真による医療機関での福祉活動を目的として活動していたが、2020年2月、再び病に倒れて帰らぬ人となる。