日本各地には、人々の暮らしの中から生まれ、人々によって口承されてきた様々な言い伝えや物語があります。これらは「民話」として総称され、その風景と共に人々の間で語り継がれて来ました。ここでは、今でも各地に語り継がれている民話と、その民話を生んだ風景を、写真家・石橋睦美が訪ねます。今回は熊野那智山です。

熊野那智山「花山院の千日行

熊野という地名は隠国「こもりく(山々に囲まれた狭い場所)」が転化したという。ゆえに異界と現世が接する風土を反映させた伝説が数多く語りつがれている。

花山天皇は藤原兼家の陰謀によって出家し、失意のうちに熊野へ旅立った。皇位に就いてわずか二年、まだ十九歳である。法皇となった花山院は熊野を目指し、那智山へ辿り着く。そうして那智ノ滝の上流へ遡り、庵を結び千日行を決意する。しかし、天狗が現れ修行の邪魔をする。あまりに騒がしいので都から陰陽師安部晴明を呼び寄せた。花山院の勅命によって那智山に赴いた清明はすぐに祈祷をおこない、天狗たちを岩屋に封じ込めてしまう。こうして天狗たちの妨害はなくなったが、雨が降り続くと強烈な頭痛に苛まれるようになる。この病状を清明に話すと、花山院の前世は尊い修行僧なのだが、骸となった髑髏が大峰山中の岩間に挟まっているとの卦が出た。雨が降ると岩が膨張し、髑髏を締めつけるのだという。それを聞いた花山院は家臣に命じ、岩間から髑髏を取り出して供養した。すると頭痛は治った。こうして花山院は無事に千日行を終えることができ、那智山から立ち去ってゆく。そうなると天狗たちは活気づき、修験僧たちの修行を邪魔しようと岩屋から出て怒り騒ぎまわったという。

後年、西行が那智山の山中に分け入り、ニノ滝付近で偶然花山院の籠居跡を見付けた。そして傍に咲く桜を見て感泣したと伝わる。いまニノ滝が懸かる谷間に佇むと、西行が体感したと同様と思える平安の空気が感じとれる。

青岸渡寺より那智の滝

那智山原生林の杉の巨樹

二の滝付近の流木

二の滝付近の渓谷

二の滝

飛瀧神社より那智の滝

 

文・写真: 石橋睦美 Mutsumi Ishibashi

1970年代から東北の自然に魅せられて、日本独特の色彩豊かな自然美を表現することをライフワークとする。1980年代後半からブナ林にテーマを絞り、北限から南限まで撮影取材。その後、今ある日本の自然林を記録する目的で全国の森を巡る旅を続けている。主な写真集に『日本の森』(新潮社)、『ブナ林からの贈り物』(世界文化社)、『森林美』『森林日本』(平凡社)など多数。