風土記や記紀神話に記された神の地を巡ると、陽光の輝きや清涼な水の流れや木霊する木や苔むす岩など、原生の自然の中に存在する万物に、私たちの祖先は神の依代(よりしろ)を見出してきたことを知る。それを核として神殿が築かれ、神域が整えられていったと思えてくる。
神社には、神話から続く歴史と伝統に基づいた風景が脈々と受け継がれている。その風を肌に受けつつ神々の杜を訪ねると、神が鎮座する無限空間からは、歴史と日本文化が香り立つようだ。(石橋睦美)

大神神社と石上神宮。神代を映す悠久の時を感じさせる

大和盆地の東側を縁取る連嶺がある。その山裾をめぐる道が桜井から奈良まで続いている。この道を山の辺の道と呼び、日本最古の街道とされる。古墳や歴史ある神社を巡っていて、古代の歴史を映すのどけさがそこかしこから香り立ってくる道だ。以前は奈良を訪れると必ず言ってよいほど山の辺の道を歩き、檜原神社や景行天皇陵などを訪ねてみた。が、やはり魅力的なのは、遥か昔の趣を秘めた大神神社(おおみわじんじゃ)と石上神宮(いそのかみじんぐう)であった。

大神神社

大神神社は崇神天皇の御代、太田田根子を司祭者として大物主神を三輪山に祀らせたのが始まりとされる。以来、大神神社では、社を持たない神を崇拝する場としての神社様式を維持してきた。大神神社では三輪山を御神体と仰ぎ、本殿はなく、拝殿のみを置いているのである。夜明け前、大神神社の二の鳥居の前に立った。日本最古の信仰様式を継承する神社にふさわしい重厚感が伝わってくる。参道は鳥居から深い森を伐り開いたように拝殿へと続く。灯篭にともる灯に導かれるように参道を辿ると、砂利が軋む軽やかな音が足元から響いてくる。そんな気配を体感すると、神坐す杜へ吸い込まれてゆくように思えてくるのであった。三輪山を背景にする拝殿で手を合わせ横にそれてゆくと山の辺の道で、狭井神社へと続いている。大神神社の創建は2000年前に遡るとされ、境内の一隅から山頂への道が施されている。その途中に大美和展望台がある。そこへ登ると、大和三山の耳成山・畝傍山・香具山が盆地の中に緩やかな起伏を描き、この地が[まほろば]と呼ぶにふさわしい風景を望むことができるのである。

大神神社鳥居
三輪山

山の辺の道の北端近くに石上神宮がある。森が深く、神域は自然と融合する佇まいを有している。今では朱塗りの神殿が造営されて神社の趣を整えているが、神殿が建立される以前から、大神神社と同じように布留山の麓に瑞垣を設けて禁足地とし、祭祀を行なっていた。その後に数々の神剣が祀られ、布都御魂大神・布留御魂大神・布都欺御魂大神の三神が祀られた。いずれも霊力の強い神である。

石上神宮

石上神宮にある神剣の中で、布都御魂剣は神武東征に由来する神話に関わって興味深い。日向を旅立った神武の軍勢は熊野に上陸したが、神の怒りに触れ動けなくなってしまう。その時、熊野に住む高倉下の夢枕に武甕槌神が現れ、布都御魂剣を高倉下に下げ渡した。その神剣を神武に献上すると、瞬く間に神武軍は蘇ったとされる。こうして勢いを取り戻した神武軍は、高御産巣日神が差し向けた八咫烏に導かれ大和へ進軍するのであった。この物語は布都御魂剣を得た神武天皇が、大和朝廷成立へ至る壮大なロマンを伝えているのである。

石上神宮境内の山の辺の道

石上神宮へは幾度か参詣しているが、二度目だったと思う。漆喰塀に沿う道を歩いていると、樹間を通した日差しが幻想的な光景を描き出した。墨絵で描いたような樹影が漆喰塀に浮かび出たのだ。まるで神代を映す悠久の時を感じさせているような風景であった。

大神神社
住所:奈良県桜井市三輪1422
電話:0744-42-6633
https://oomiwa.or.jp

石上神宮
住所:奈良県天理市布留町384 
電話:0743-62-0900
https://www.isonokami.jp

文・写真: 石橋睦美 Mutsumi Ishibashi

1970年代から東北の自然に魅せられて、日本独特の色彩豊かな自然美を表現することをライフワークとする。1980年代後半からブナ林にテーマを絞り、北限から南限まで撮影取材。その後、今ある日本の自然林を記録する目的で全国の森を巡る旅を続けている。主な写真集に『日本の森』(新潮社)、『ブナ林からの贈り物』(世界文化社)、『森林美』『森林日本』(平凡社)など多数。