テクノロジーの粋を集めて造られた水力発電ダムは、そこにある自然と見事に融合して雄大な造形美を現出しています。ここでは、その水力発電ダムの魅力をシリーズでお伝えします。
今回は、日本最大の水力発電所として誕生した山梨県の駒橋発電所です。

特急「あづさ」からの眺め

JR中央線の特急「あづさ」が新宿を出発して、東京、神奈川の都県境を抜けて山梨県にはいる。大月駅に差し掛かると進行方向左手に、鈍く銀色に光る2本の太い鉄管が視界に飛び込んできます。すっかり山里の風景に溶け込んだ東京電力の駒橋発電所の導水管です。「東京電力 駒橋発電所」の壁面が目に入る。

日本で最初の水力発電所は、仙台の三居沢発電所(1888年=明治21年)と京都の蹴上発電所(1891年=明治24年)ですが、この駒橋発電所は当時としては最大規模の水力発電所として誕生しました。

日露戦争の影響などもあって火力発電用燃料の石炭が不足してきて、東京では電力需要が増加し対応できなくなってきていました。そこで東京電燈は大容量の水力発電所と日本で初めての高圧長距離送電線の建設を計画、電力を確保することになりました。

東京市へ長距離高圧送電

水力開発が急務だったのですね。そのころ東京では東京電燈(東京電力の前身)が市内(東京市)の浅草に、千住、深川、品川に火力発電所を建設し黒煙を掃き出しながら電力を供給していましたが。

明治40年11月3日付けの専門紙「電気新報(現・電気新聞)」は創刊号で、当時の様子をこう記している。「大煙突大空に聳え威風堂々、電気の勃興を示すがごとしといえども、ばい煙を飛散して都人の衛生を害し、経済上も有限の石炭を燃焼しつくすものというべし」と論説したうえで、記事では、東京電燈が「11月7日に駒橋発電所の全出力運転を開始、新聞通信記者の現地公開を経て、20日前後から東京市内の燈火・原動力を漸く水力電気に改める予定だ」と伝えています。

麹町、麻布一帯が明るく

東京電燈が1907年(明治40年)、山梨県広里村(当時、現大月市)の駒橋に建設した「駒橋発電所」は、出力が15000kW。当時としては日本最大の水力発電所でした。同時に東京市内の早稲田に変電所を建設し、その間約80kmの距離を55000Vの特別高圧送電線で結び、東京へ送電しました。

東京では麹町、麻布一帯に歴史的な送電が行われ。街は明るく一変し首都発展の原動力となったそうです。この送電線は、その後のわが国の高圧長距離送電の草分けとなりました。

明治20年代以降、水力発電所が雨後の筍のように全国か悪地に建設されましたが、紡績工場など企業が自社の工場の動力源として建設されることが多かったですね。地域の天気鉄道や照明用の発電所も多かったですね。明治40年ごろになって、電気使用量を計量する技術(電力量計)が実用化されたため、電力供給が事業として成り立つようになりました。

駒橋発電所の当時の発電機などは、昭和20~30年代に設備が更新され、現在もなお発電を続けています。今も現役ですが、送電線は廃止され現在は山梨県内で消費されています。竣工当時は8本あった水圧鉄管も現存するのは2本だけになりましたが、斜面に目を凝らしてみると、水圧鉄管の跡を確認することができます。

山中湖から豊富な水流が

駒橋発電所が山梨県大月に建設されたのは、取水する桂川が富士山のふもとの山中湖を水源としており豊富な水量を通年、安定して得られることや、大消費地に近いことなどからだといわれています。以降、電力会社は水量豊富な河川を求め、遠隔地に発電所を建設するようになっていきました。伊那谷の天竜川の発電所からの電気も早稲田変電所に送られていましたね。

発電所本館は回収に伴い、すでに解体撤去されていますが、駒橋発電所の快挙にふさわしい、由緒深い地名を後世に残そうと昭和39年、発電所、補修所、保線区の職員70人が資金を出し合い、駒橋出張所跡地に記念碑を建立しています。碑石、礎石ともに桂川で清められた自然石で、碑文は昭和16年当時の東京電燈・駒橋出張所長の武村重武さんの自筆によるものだそうです。碑石にはなぜか「東京送電水力発祥の地」と刻まれています。

行ってみよう!周辺・見どころスポット

発電所のある駒橋は旧甲州街道の宿場の一つ。しかし、駒橋宿は富士山道との追分に位置する大月宿に近いため、本陣脇本陣ともなく旅籠はわずか数軒という小さな宿場でした。

江戸を出てかなりこの駒橋宿に近づいたところにある犬目宿は、葛飾北斎の「富嶽三十六景甲州犬目峠」で知られる富士山の絶景ポイントの一つで、ここからは北斎の絵さながらのどっしりした富士の姿を望むことができます。集落の西外れには昔ながらの石畳の道が残り、旧街道のかつての姿を伝えています。

犬目宿の次は鳥沢宿、その次の猿橋宿には山口県岩国市の錦帯橋、富山県黒部川の愛あい本もと橋とともに日本三奇橋の一つ猿橋があります。富士山の溶岩流に浸食された険しい谷に架けられ、橋脚を立てられないため両岸から部材をせり出させて土台としその上に橋桁を渡した跳ね橋の一種で国の名勝になっています。

発電所の対岸、桂川左岸の急峻な岩山は戦国時代の岩殿城跡です。城主小山田氏は武田家の有力武将の一人でしたが、衰退した武田家を見限り滅亡に追いやった不忠を咎められ、自身も滅亡の憂き目を招き婦女子は断崖から身を投げて果てました。城は徳川氏の時代に廃され、現在は公園として整備され標高634mの山頂からは富士山を真正面にできます。

発電所の南西約4㎞には山梨県立リニア見学センターがあります。新型リニア車両LO系が、笛吹市から上野原市間総延長42.8㎞を時速500㎞超の高速で走る様子を間近で見ることができ、模型や展示などによりこの近未来のウルトラ超特急について解説しています。

その南東に1㎞ほど、朝日川に3連のアーチを架ける駒橋発電所落合水路橋は、1906年(明治39)に建設のレンガづくりの発電用水路で、国の登録文化財に指定されています。朝日川はこのすぐ下流で桂川に合流します。

駒橋発電所
山梨県大月市駒橋3丁目 交通:JR中央本線 猿橋駅より約1km

文: 藤森禮一郎 Reiichiro Fujimori

エネルギー問題評論家。中央大学法学部卒。電気新聞入社、編集局長、論説主幹、特別編集委員を経て2010年より現職。電力問題のコメンテーターとしてテレビ、雑誌などでも活躍中。主な著書に『電力系統をやさしく科学する』、『知ってナットク原子力』、『データ通信をやさしく科学する』、『身近な電気のクエスション』、『火力発電、温暖化を防ぐカギのカギ』、『電気の未来、スマートグリッド』(いずれも電気新聞刊)など多数。