天孫降臨の地の一つとして、大勢の観光客が訪れる高千穂。ここには記紀神話に登場する名の知れた神様を祀る神社ばかりでなく、神楽の伝統とともに地域の人々が敬ってきた氏神様の社が数多くあります。

天孫降臨の山々に囲まれた静かで、美しい山里

神代の昔、天照大神(あまてらすおおみかみ)は地上(日本の国土)を治めるため、天上の高天原から孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)を遣わしました。これが天孫降臨(てんそんこうりん)の神話です。

ここから記紀神話(=古事記と日本書紀)に伝えられる古代日本の歴史は始まるわけですが、『古事記』と『日本書紀』とでは、記述された内容に食い違う部分も多いため、「天孫降臨の地はどこだったのか?」という論争は古くから盛んに行われてきました。

その有力地の一つが日向国高千穂(ひむかのくに たかちほ)。南北に連なる九州山地のほぼ中央、宮崎県の西北端にある山里です。

「古事記や日本書紀には、現在の高千穂町域にある3つの山、槵觸峯(くしふるのたけ)・二上峯(ふたがみのたけ)・添山峯(そぼりのやまのたけ=祖母山)が書かれていて、これが高千穂を天孫降臨の地とする根拠になっているのです。ただし、それだけで高千穂こそが……と言い切るつもりはありません。むしろ私としては、こうした伝説は地域の風土に根付いた先人からの教えとして、大切に語り継ぐことができれば良いのだと思っています」。

こんな話を聞かせてくれたのは、高千穂町立中央公民館の社会教育指導員・田尻隆介さんでした

国見ヶ丘から眺める高千穂盆地。
ここは神武天皇の孫・健磐龍命(たけいわたつのみこと)が九州統制の折、「国見」をされた場所と伝えられています。
晩秋から冬にかけての早朝には、雲海が高千穂盆地を埋め尽くす幻想的な風景と出会えます。

高千穂の地形を利用して、人々は古くから棚田を作って稲作を行なっていた。今はこれが高千穂の特徴となって素晴らしい風景が広がります。

古代の日本人は、天上世界に近い山の峰々には神様がいると信じていました。その神様が人里に降りてきて、氏神様や天神様、お稲荷様や水神様になり、やがては里宮として神社も建てられていきます。

田尻さんによると、天孫降臨の地という誇りもあってか、高千穂には日頃から神様を敬い、感謝を捧げる習慣が数多く残っているそうです。そして、こうした古くからの伝統の集大成が、集落ごとに伝えられてきた高千穂の夜神楽なのだといいます。

幻想的な高千穂峡。
前方に見えるのは高千穂峡のシンボルといえる、真名井(まない)の滝。

天岩戸神社の一角にある天安河原宮(あまのやすかわらぐう)。
天照大神が天岩戸に引き籠もってしまったとき、神々が相談に集まったと伝わる洞窟はとても神秘的なたたずまい。

里の鎮守・氏神様とともに日々を送る高千穂の人々

秋の収穫も終わり、朝晩の冷え込みが一段と厳しくなってくる頃、高千穂には神楽の季節がやってきます。毎年11月から2月にかけて、町内30あまりの地区で神楽の奉納が次々と行われていくのです。

この日、取材させていただいたのは、高千穂神社で高千穂神楽を披露していた押方地区・中畑神社神楽保存会のみなさん。神楽の舞い手は奉仕者という意味から「ほしゃどん」と呼ばれ、年に一度の本番の夜神楽では、全三十三番の演目を夕暮れから翌日の昼近くまで、夜を徹して舞い続けます。

御幣(ごへい)と鈴を手に天岩戸を探す手力雄命(たぢからおのみこと)。
高千穂町内各地区の保存会の協力により、高千穂神社の神楽殿では毎夜、代表的な舞いが披露されます(
観劇料有り)。

「現在、保存会に参加しているのは大人16名と小学生3名ですが、このメンバーだけで神楽が奉納できるわけではないのですよ」

こう話してくれたのは保存会の代表を務める藤崎康隆さんでした。

神楽のときは、神楽宿と呼ばれる民家での舞台作りや飾り付けに始まり、神社に氏神様を迎えに行く神事、さらには会場に集まってきた人々に提供する〝ふるまい〞の用意など、地区の人たちが総出で1カ月も前から準備をするそうです。

高千穂夜神楽三十三番の一番は、邇邇藝命を地上へと案内した猿田彦命が登場する『彦舞』。その後、さまざまな演目を舞い続けながら、クライマックスとでもいうべき岩戸五番( 二十三番『柴引』〜二十七番『舞開』)を迎える頃には白々と夜が明けてゆきます。そして、最後を締めるのが三十三番『雲下し』。舞台には紙吹雪が舞い散り、見事に夜神楽三十三番の大成就となるのです。

高千穂神楽には愛嬌たっぷりの神様も登場します

「ほしゃどんをやっていてうれしいのは、なんといっても地区の人たちが盛り上がってくれることですね」

この藤崎さんの言葉には、神楽の伝統を受け継ぐことは、地域の絆を守り続けることだという思いが込められているようでした。

現在、ほしゃどんの数は高千穂町全体で約480名。人口1万3000人足らずの山深い町に、これほど多くの舞い手がいて、それを地域の人たちがみんなで支え合っていることは驚きでした。

高千穂の夜神楽は、その里の鎮守である氏神様をはじめ、多くの神々と里人たちが一同に集い、秋の新穀収穫を喜び、翌年の豊作を祈願する祭り。天孫降臨の地がどこにあったかはさておき、この美しい山里で暮らす人々は、今でも神様たちを身近に感じ、敬いながら日々を送っているのです。

高千穂では数多くの言い伝えが今も生活の隅々に息づいています。
おばあさんが田んぼに供えているのは神楽の舞いで使った御幣。これで翌年は豊作が約束されるといいます。

高千穂神社 (たかちほじんじゃ)

高千穂十八郷に点在する88社の総社として広く信仰を集める高千穂神社。
御祭神は邇邇藝命をはじめとする皇祖の神々で、11代垂仁天皇の時代の創建と伝えられています。
境内にそびえる巨木は樹齢800年の秩父杉。
宮崎県高千穂町大字三田井1037/☎0982・72・2413

天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)

天照大神がお隠れになった天岩戸をご神体として祀る西本宮と天照大神を祀る東本宮があります。
天安河原宮へと続く参道やその周辺は、近頃パワースポットとしても人気が高く、多くの観光客が訪れます。
宮崎県高千穂町岩戸1073/☎0982・74・8239

槵觸神社 (くしふるじんじゃ)

古事記に『筑紫の日向の高千穂の久志布流多気(くすふるたけ)』と記述のあるくし觸峯山腹の神社。
社殿が建立されたのは元禄7(1694)年。そこには邇邇藝命とともに降臨した神々が祀られています。
宮崎県高千穂町三田井713/☎0982・73・1213(高千穂町観光協会)