凍る湖に立つ。氷のきしむ音が、不気味に闇に響く。湖畔の灯りが眩しく光り、鋭く瞳を刺す。霊峰の懐に抱かれ、静かに眠る、さやけき月影の湖。
写真・文 : 岳 丸山 Gaku Maruyama
爽やかな満月の光と清澄な厳冬の大気。全面氷結した山中湖
「バリ バリ バリ・・・!」 深夜の凍てつく湖畔に響く重低音。ジェット・ヘリの発する金属的な破裂音、圧倒的な低周波が耳をつんざく。黒い影は2機、山中湖の上空を2周旋回して東の方向に消えて行った。多分自衛隊の訓練飛行であろう。基地は横田か?コックピットから深夜の山中湖はどのように映るのだろうか?赤外線ゴーグルで見る湖は、モノトーンで無味乾燥な世界なのだろうか?パイロットの視線の先を思わず想像する。2周目の旋回が始まった。パイロットは操縦桿を左にきり、回転する重力を肌に感じ、無心に視界の中の一点を見つめる。
特別な者にしか味わえない手応え。ガスタービンエンジンが発する強烈な浮揚感、プロペラの回転音の重いリズムが身体を震わす。独りだけの深夜の天空ドライブ、微かな優越感に浸る瞬間がたまらない。何故かそんな光景が、浮かんで来る。氷結した湖面とすり鉢型の湖畔に反射して、なお一層、爆音は鋭く闇を切り裂く。清澄な大気と深い静寂感、極寒の山中湖でなければ味わえない臨場感である。原始の自然と最新鋭兵器の競演、なんとも不思議な取り合わせか・・・撮影の手を休め、対岸の灯りを見つめているその時、こんな光景に巡り会うことなど夢にも思わなかった。研ぎ澄まされた真冬の大気に炸裂するターボシャフトの破裂音、目の覚めるような音圧、なんとも刺激的な体験であった。」
海抜約1,000メートルの山中湖は、赤石岳と緯度が変わらず、富士五湖の中で一番冷え込みがきつい。大寒を過ぎて2月の上旬になると、零下20℃まで深夜は大気温が下がる。駿河湾より吹き上げる水蒸気が富士山頂をなめて山中湖に下り、その冷気が湖畔を冷やす。車中にある濡れタオルはコチコチに凍り、バックミラーには氷柱が下がる。全身にホッカイロを隈無く張り、ダウンジャケットとオーバーコート、二重の防寒ズボン、発熱性下着などで完全防寒しても、顔だけは切れるように痛い。眼鏡も自分の吐く息ですぐに白く凍ってしまう。皮手袋をして撮影準備をするが、手の感覚はあまり感じられない。カメラのバッテリーは低温で直ぐに消耗してしまう為、リモートタイプに変え防寒袋に入れる。勿論カメラ本体も防寒対策をする。三脚は霜で真っ白になり、金属部分は寒さで触ると密着してしまう。素手であれば、皮膚の皮が金属部分から離れなくなり大怪我をするだろう。まるで巨大な山中湖という冷蔵庫の中で写真撮影をしているかのようだ。私はこんな撮影を好んでした。
冷え込む大気は、水蒸気の粒子を細かく縮ませ、これでもかというほど澄み渡る。すり鉢状の湖畔は鎮まりかえり、わずかな物音でさえ集音マイクのように拾う。湖面の氷のきしむ音も、鋭く湖畔に響き渡る。対岸の灯りの眩しさも半端ではなく、刺すように放射光を放つ。22年ぶりに全面氷結した湖畔の夜間撮影もかつて経験した。其の夜は、湖面の氷結が緩み始め、岸に打ち寄せられた氷の厚さは、20cmを優に超えていた。折しも満月の夜、岸辺の氷塊にピントを合わせバルブ撮影を試みた。その氷塊の断面の美しさは例えようもなく、金属的な鋭い輝きを放っていた。「さやけき」という言葉がピッタリと当てはまる爽やかな満月の光。清澄な厳冬の大気。この身を切るような緊張感と静寂感がたまらない。