昔の国名からいまも信州と呼ばれる長野県は、海から遠く、標高の高い本州内陸部に位置しています。そのため気候は冷涼で、雨が少なく、蚕やその餌となる桑の木を育てるのには最適な土地でした。品質の良い信州の生糸は19世紀後半以降、海外へも盛んに輸出されるようになり、地域の人々の生活を支えたばかりでなく、近代日本の重要な外貨獲得手段となりました。その後、1930年代から蚕糸業は急速に衰退しますが、いまも県内には養蚕にまつわる数多くの施設が残っています。これらと観光スポットとを合わせ魅力的な旅行コースに仕立てたのが「信州シルク回廊」です。今回は昔ながらの土蔵造りの商家や民家が建ち並ぶ長野県須坂市を訪ねました。

生糸の原料は蚕の作る繭。製糸工場では繭を煮て糸がほぐれやすくしてから、複数本の繭糸をより合わせ、必要な太さの生糸を作り出していきました。

須坂ならではの風土が後押しした製糸業の発展

須坂市は人口5万人弱の静かな地方都市で、「北信」と呼ばれる長野県北部エリアに位置しています。西隣は県庁所在地の長野市で、その境界には日本一長い千曲川(信濃川)が流れています。一方、東にそびえるのは三国山脈で、そこには2000m級の山々が連なっています。須坂で蚕糸業が盛んになったのは、この地形も大いに関係していました。

須坂の市街地は百々川(どどがわ)や松川といった千曲川の支流が作る扇状地にあります。砂礫の堆積する扇状地は水はけが良いため、水田での稲作には向きませんが、蚕の餌となる桑の木を栽培するには最適の土地でした。そのため百々川流域では18世紀から桑の栽培が始まり、やがて町の周囲は見渡す限りの桑畑になっていったのです。

また、扇状地の傾斜とそこを流れる豊富な水を利用して、須坂の人々は古くから水車を利用してきました。これらはもともと精米や製粉、菜種油を絞るためのものでしたが、のちには生糸を紡ぐ機械の動力として利用されました。このことも須坂の製糸業の発展を後押しすることになったのです。

製糸業が盛んだった時代の須坂の様子。市街地には製糸工場で使う湯を湧かすため煙突が立ち並び、もうもうと煙を噴き上げていました。(写真:須坂市立博物館蔵)
市内の旧小田切家住宅に残る水車。扇状地を流れる豊富な水の流れを利用した水車は製粉や搾油だけでなく製糸工場の動力源にもなりました。(写真:一般社団法人信州須坂観光協会)

日本国内では初めて設立された須坂の製糸結社

2014年に世界遺産に登録された群馬県の富岡製糸場は、当時の政府によって作られた日本初の本格的な機械製糸工場でした。操業を開始したのは1872年で、最先端の技術を導入した工場は約5万5000㎡という広大な敷地を持っていました。一方、同じ時期に稼働しはじめた須坂の製糸工場は、どれも民間人が経営する小さな町工場でした。建物の大半は古くからある商家や民家の土蔵を利用し、機械を動かす動力源はゴトゴトと音を立てて回る水車だったのです。こうした工場が須坂には数多くあり、そこで糸を紡ぐ若い女性、いわゆる工女の数は最盛期には6000人にも達したと考えられています。

こうした小規模な製糸工場しかなかった須坂の町が、なぜ国内有数の生糸産地となっていったのでしょうか? その理由のひとつは製糸結社という独特のシステムにありました。これは小さな製糸業者がいくつも集まって作る共同経営組織のようなもので、生糸の規格を統一するなどして品質を保ち、出荷を共同で行うことにより海外からの大量需要にも対応しました。また、当時の生糸は相場が乱高下することも多かったのですが、暴落による損失を分散できるため、小規模業者の倒産を防ぐのにも役立ったのです。

製糸工場で働く工女たち。「東行社」と「俊明社」という2つの製糸結社を合わせると、1889年の時点で須坂には102もの加盟工場があり、そこでは約3500人の工女が働いていました。(写真:須坂市立博物館蔵)
ふれあい館まゆぐらの建物は、生糸の原料となる繭を貯蔵する蔵として明治期に建てられたもの。道路整備のため解体予定でしたが、2000年に「挽き家」という伝統工法を用いて現在の場所に移転し、公共施設として活用されています。(写真:一般社団法人信州須坂観光協会)

製糸工場で働く工女たちが町の賑わいを呼んだ

19世紀の終わり頃、須坂には2つの大きな製糸結社があり、これらは生糸の生産ばかりではなく、町の発展にも大きな役割を果たしました。そのひとつ、俊明社を設立した越寿三郎という人物の功績はいまも地元で語り継がれています。

1887年、24歳の時に小さな製糸工場を立ち上げた越寿三郎は、事業に心血を注ぎ、20年後には須坂に6カ所、県外に2カ所の生産拠点を持つ個人としては国内有数の製糸業者となっていきました。そんな越寿三郎が何より大切にしたのは工女のことでした。近隣ばかりでなく、他県からもやって来る工女の多くは寄宿舎で暮らしていました。そのため寄宿舎の衛生管理やそこで提供される食事の栄養にはとても気を遣い、病気になった人は必ず病院で直してから故郷に帰したそうです。そして、比較的恵まれた環境にあった工女たちは、一日の長い仕事を終えると気晴らしによく買い物に出かけました。そのため、須坂の町では菓子屋や小間物屋、下駄屋や呉服屋など、女性を相手にする商店が大いに繁盛したのです。

越寿三郎が経営する製糸会社・山丸組では、この大運動会(いまで言う遠足のようなもの)をはじめ、工女のためのさまざまな慰安行事を実施していました。(写真:須坂市立博物蔵)
越寿三郎の息子家族が暮らしていた屋敷は、現在、須坂クラシック美術館(入館料:一般300円)になっています。ここでは日本画家・岡信孝氏のコレクションのほか、着物や民芸品など昔の生活用品を展示。(写真:一般社団法人信州須坂観光協会)

製糸業の栄華を色濃く残す須坂の町

20世紀に入っても須坂の製糸業は発展を続けました。多くの人々が東京や横浜から生糸の買い付けに訪れるため、町には料理屋や旅館が建ち、劇場には当時の国民的人気スターが登場することもあったそうです。また、電気や水道、鉄道や道路などの社会インフラも、県内の他の地域に先がけて整備され、製糸業者向けの銀行も設立されました。そして、生糸で富を得た人々は豪壮な土蔵造りの商家や民家も次々と建てていったのです。

ところが、1929年の世界恐慌を機にアメリカへの輸出に依存していた須坂の製糸業は一気に衰退していきます。越寿三郎の俊明社を始めとする須坂の製糸業者は次々と倒産・廃業していきました。ただし、先人たちが築き上げた進取の気風や美しい町並みは色褪せることなく、人々の手で現代まで引き継がれてきました。そして、丹念に手入れをしてきた漆喰や土壁の立派な建物は、民家や商店、観光施設や美術館などとしていまもしっかりとこの地で生き続けています。

一方、扇状地に広がっていた桑畑は果樹園に生まれ変わり、ブドウやナシ、モモやリンゴなどさまざまなフルーツが栽培されています。降水量が少なく、水はけの良い須坂の扇状地は桑と同様、果樹の栽培にも最適で、県内有数の収穫量を誇る「フルーツ王国」に生まれ変わったのです。

蔵の町並みに軒を連ねる立派な建物の多くは、製糸業全盛期の1910~20年代に競うように建てられたも。石畳の通りは交通量が少ないので、のんびりと散策を楽しむことができます。(写真:一般社団法人信州須坂観光協会)
立派な卯立を上げる建物は地元の人たちでいつも賑わっているという居酒屋さん。建物ばかりでなく店内もレトロ感あふれる雰囲気で営業しているそうです。
春から秋までさまざまな果物を楽しめる須坂。市内には長野県果樹試験場もあるため、ナガノパープルやクィーンルージュといった人気の高い新種ブドウもこの地で誕生しました。(写真:一般社団法人信州須坂観光協会)

<INFORMATION>

ふれあい館まゆぐら
(ふれあいかんまゆぐら)
須坂の町を散策する際のお休み処として、地元のボランティアの方々がお茶の無料提供サービスなどを行っている施設。2階と3階は展示スペースになっていて、養蚕・製糸業にまつわる道具やその解説、往時の写真を見ることができます。
*入館無料/9:00~17:00(季節により変動)/℡026-248-6225/須坂市大字須坂387-2

笠鉾会館ドリームホール
(かさほこかいかんどりーむほーる)
毎年7月に開催される須坂祇園祭で、市内を巡行する11基の笠鉾を保管・展示している施設。笠鉾の多くは製糸業が盛んだった時代に制作されたもので、その豪華絢爛な装飾が須坂の町の繁栄ぶりや町衆の意気込みを物語っています。
*入館無料/9:00~17:00/月曜定休/℡026-246-7100/須坂市大字須坂410-1

塩屋醸造
(しおやじょうぞう)
製糸業の町としてめざましい発展を遂げていった須坂では、急速に都市化が進んでいきました。そのため食文化も自家製の手前味噌から買い味噌へと移行し、工女が生活する寄宿舎での消費量も多かったことから、市内の味噌蔵はたいへん繁盛したといいます。この塩屋醸造は塩問屋にルーツを持ち、いまから200年ほど前から味噌と醤油を作り続けている老舗蔵で、年代物の大きな木桶や蔵付き菌が醸す昔ながらの味を守り続けています。予約をすれば蔵見学(無料)も可能。
*9:00~18:00/不定休/℡026-245-0029/須坂市新町537

旧小田切家住宅
(きゅうおだぎりけじゅうたく)
蚕種の品質向上のために組合を作るなど、須坂の製糸業の発展に大きく貢献した小田切辰之助が建てた住宅。白漆喰仕上げの土壁の美しさや立派な長屋門が印象的で、製糸業で栄えた須坂の歴史を伝える重要な建造物として「長野県宝」に指定されています。飲み物やお菓子を味わえるカフェも併設。写真:(一社)信州須坂観光協会
*入館料:一般300円/9:00~17:00(季節により変動)/℡026-246-2220/須坂市大字須坂423-1

信州須坂菓子処 コモリ餅店
(しんしゅうすざかかしどころこもりもちてん)
製糸業が全盛だった時代に創業した老舗菓子店。こちらの一番人気は、あんずジャムなどのバタークリームを独特な風合いのビスキュイ生地でサンドしたブッゼ「信州須坂一万石(160円)」。名物コモリ団子や手作りおやき、須坂味噌まんじゅうなども土産にオススメです。
*9:00~売り切れ次第/不定休/℡026-245-0528/須坂市北横町1316

臥竜公園
(がりゅうこうえん)
世界恐慌の後、多くの製糸業者が倒産・廃業するなか、失業者対策のために1931年に築造された大規模な公園。周囲約800mの竜ヶ池に映えるソメイヨシノの花は見事なもので、公益財団法人・日本さくらの会による「さくら名所100選」に選ばれています。敷地内には須坂市動物園(入園料:大人200円)や須坂市立博物館(入館料:常設展100円)などの施設もあります。写真:(一社)信州須坂観光協会
*入園自由/℡026-245-1770/須坂市臥竜2-4-8

須坂温泉 古城荘
(すざかおんせんこじょうそう)
須坂市郊外の緑豊かな土地にある一軒宿。自慢は毎分157リットルもの湧出量を誇る天然温泉で、肌に優しい弱アルカリ性の泉質から「美人の湯」とも呼ばれています。日帰り入浴が可能で、ランチメニューも充実。写真:(一社)信州須坂観光協会
*1泊2食付き(通常プラン)10,000円~/日帰り入浴:大人600円/℡026-245-1460/須坂市大谷町5414

米子大瀑布
(よなこだいばくふ)
長野県と群馬県に跨がる四阿山(標高2354 m)の断崖絶壁からほとばしる大きな滝で、「日本の滝百選」にも選ばれています。米子大瀑布というのは、落差89mの不動滝(写真右)と落差82mの権現滝(写真左)という2本の滝の総称。アクセス道路の林道は冬季は通行止めとなります。
*開山5月上旬/閉山11月中旬/℡026-248-9005(須坂市商業観光課)

<信州シルク回廊の楽しみ方>
信州シルクロード連携協議会のホームページ(https://shinshu-silkroad.jp/)では、個人・グループ旅行向けと団体旅行向けのモデルコースを東北信/中南信エリアごとに各6コース紹介しています。どれも魅力あふれるスポットを巡るコース設定となっているので、ぜひ旅計画を立てる時の参考にしてください。また、かつて生糸の輸出時に高品質の証として付けられた「生糸商標」がコレクションカードとして復活。信州各地の観光案内所や見学施設などで配布しているので(数に限りがあるため無くなり次第終了)、これを集めながらシルクゆかりの地を周遊してみるのもいいでしょう。