炭の中で特別な存在である備長炭ですが、この炭は、古来、紀伊山脈を中心に独自の方法で作られてきた木炭のことです。この備長炭を3代に渡って焼き続けている炭焼きさんを訪ねました。
取材・文 : 佐々木 節 Takashi Sasaki
1000℃以上の窯で真っ赤に焼き上げる備長炭
町の焼き鳥屋などでよく見かける『紀州備長炭使用店』の看板。備長炭というのは、古くから紀伊山中を中心に独自の製法で作られてきた木炭のことです。その特徴は火持ちが良く、強い火力が長時間持続すること。団扇ひとつで微妙に火加減を調整できることから、料理の世界では特に重宝されてきました。
そんな備長炭を祖父の代から焼き続けているのが、みなべ町の清川地区に窯を持つ原正昭さんです。
「むかし、このあたりには200人も炭焼きさんがおったんやけど、今じゃ10軒ほど。そのなかでも代々やっているのは、うち以外にはもう2軒しかないんです」
南紀では炭焼きの仕事に従事する人を「炭焼きさん」と親しみを込めて呼びます。自らもそう称する原さんが、いま心配しているのは、昔ながらのやり方で炭焼きをする人が少なくなっていることだといいます。
備長炭は『木くべ』『口焚き』『焼火』『精錬』『窯出し』という工程を経て1週間あまりで完成します。このうち最も難しいのが、口焚きと焼火で原木を蒸し焼きにしたあと、窯に空気を送り込み、1000℃以上の高温で炭化させる精錬の作業。通気口に小さな石ころをひとつ置くか、置かないかだけで空気の流れが変わり、焼き上がりに大きな違いが出るそうです。このとき炭焼きさんは小屋に泊まり込み、寝ずで窯の番をすることになります。
窯から出し、素灰(粘土質の山土に灰を混ぜたもの)をかけて消火した備長炭は表面が白っぽくなっていて、叩けばキィーンと金属質の音が響きます。一般に木炭は黒炭と白炭に大別されますが、白炭の代表格である備長炭は、茶席やバーベキューで用いる黒炭とは見た目も、燃え方もまったく違います。
まず父から習ったのはウバメガシの木の伐り方
「最初の一年間、窯にはいっさい手出しをさせてもらえず、毎日、山の中ばかり歩かされていました」。
原さんが父の元で炭焼きの仕事を始めたのは今から20年以上前のこと。そのころ言い聞かされたのは「山でちゃんと木が伐れるようになったら、もう炭焼きさんとしては一人前や」ということでした。
備長炭の原木として最も人気が高いのはウバメガシ(姥目樫)の木です。これは生け垣や街路樹にも使われる高さ5〜6m ほどの常緑広葉樹で、紀伊山中では石や岩の多い痩せた土地に自生しています。成長が遅い分、木目はぎっしりと詰まっていて、これを焼き上げると金属のように堅い備長炭となるのです。
原木を伐り出す時、原さんは『択伐』という先祖伝来の方法をとっています。根元から枝分かれするウバメガシの幹をすべて伐る『皆伐』ではなく、細い幹は残し、よく成長した太い幹だけを選んで伐るのです。
残された細い幹は、たっぷりと陽を浴び、根から吸い上げた養分も一人占めして、元気良く育ってゆきます。皆伐だとウバメガシの森が再生するには35〜40年かかりますが、択伐なら15年ほどで元通りの姿になるそうです。
実は今から300年ほど前、紀伊山中ではウバメガシの森が消えかけたことがあります。
元禄年代、紀伊田辺の炭問屋・備中屋長左衛門が江戸で炭を売り出したところ大評判となりました。紀州の炭が備長炭と呼ばれるようになったのも、備中屋長左衛門の名前に由来するものです。ところが、高値で取引される備長炭を作るため、ウバメガシは伐りつくされ、厳しい原木不足に直面してしまったのです。そんな苦い経験から編み出されたのが、細い幹を残す択伐でした。
みなべの炭焼きさんの間では「15町歩(1町歩=約1ヘクタール)の山があれば一生困らない」と言われてきました。炭焼きで生計を立てていくには毎年1町歩のウバメガシの森が必要。それを次々と伐っていっても、15年後には最初に伐った山(森)が再び原木を切り出せる状態に戻っている、というわけです。「炭焼きさんは一生で最低でも3回は、同じ山の世話になるんですよ」
そんな原さんのひと言がいつまでも心に残りました。