暦には日・月・年という三つの単位があります。当たり前に使っているこの三つの単位について、今回はその成り立ちに遡って考えてみたいと思います。

年中行事と暦

日本で本格的な暦が使われ始めたのは6~7世紀頃といわれています。 このころ使われた暦は、中国から輸入されたもので、月の満ち欠けの周期と太陽の運行を組み合わせて作くる太陰太陽暦でした。以来、1200年以上、日本で使われた暦は多少の改良(時には改悪も)が行われはしたものの、奈良・平安の昔から江戸時代まで基本的には同じ暦を使い続けました。
この暦を一般に「旧暦」と呼びます。日本の伝統的な年中行事の多くは、この旧暦の下で生まれ育ったものだということが出来るでしょう。
さて、江戸時代が終わって間もない明治6年(1873年)のこと、日本は長く慣れ親しんできた太陰太陽暦から、西洋の多くの国々が採用していた太陽暦の一種であるグレゴリオ暦へと暦を替えました(このように暦を替えることを「改暦」といいます)。
グレゴリオ暦は新しく使われるようになった暦なので「新暦」と呼ばれるようになりました。今から150年程前の出来事です。
新暦と旧暦とでは1年の日数も大きく異なります。年の始まりである正月の時期も約1ヶ月ほど違っています(旧暦の元日は、新暦では1月下旬から2月中旬あたりになります)。
こんな大きな変更が急に行われたので改暦直後は人々は大いに戸惑い、そして混乱しました。年中行事も御多分に漏れず、この改暦の影響を受けて、行事の日付に混乱が生じました。その混乱が今もまだ続いています。
どのように混乱したのか、混乱の例として七夕の節供とお盆を考えてみましょう。
本来、七夕もお盆も暦の日付けに結び付けられた行事で、七夕は七月七日、お盆は七月十五日に行われていました。
こうして見ると、七夕とお盆の間はわずか1週間しかありません。内容的にも似た部分が多くあり、両者は一続きの行事だったと言ってもおかしくないものでした。ところが現在は、七夕は新暦の7/7に行い、お盆は日付けを1ヶ月遅らせた新暦の8/15に行うという地域が増えてきたため、二つは異なる季節の行事だと思われるようになってきています。
お盆などは、本来七月十五日に行われた行事だということを知らず、元から8/15という日付けで行われていたと思う人が増えているのではないでしょうか。
また、こうした一般的な流れには乗らず、仙台のように七夕の節供は旧暦の七月七日に行うといったところもあり、同じ七夕の節供であっても、それが行われる時期が地域によって大きく異なるといった現象も見られます。

年中行事は旧暦で?

改暦による年中行事の混乱といった話をすると、「年中行事は、やはり旧暦で行うべきなんですね」と反応なさる方がいらっしゃるのですが、私は必ずしもそうだとは思っていません。 確かに、旧暦の日付けで行った方が、しっくりくるということもありますが、それは旧暦が優れているからといった理由からではありません。なんといっても、旧暦は1200年も使われ続けていた暦です。伝統的な年中行事と呼ばれる行事のほとんどは、その旧暦が使われていた時代に生まれ育ってきたものです。
つまり、行事の方が旧暦に合うように姿形を変えてきたようなもの。そうであれば、「旧暦の方がしっくりくる」のも当然です。ですが、年中行事とは人間が行うものですから、人間の社会では既に使われなくなった暦によって、ずっと続けてゆくというのも何かおかしな話です。年中行事も今、少しずつ新暦に合うようにその姿を変え始めているようです。
年中行事は、その行事と結びついた謂れのある日付けで行うことが重要だと考えるのか、あるいは慣れ親しんできた季節に合わせるべきなのか、はたまた盆のように、家族、親戚が集まりやすい時期を重視しするべきなのか、それぞれの考えの違いによって同じ行事が地域ごとで異なる日に行われるようなことが起こっていて、混乱の様相をみせていますが、いずれはどこかに落ち着くことでしょう。
しかし、改暦から150年近い年月が過ぎてもまだ混乱しているとすると、落ち着くまでには、あとどれくらいかかるのでしょうね。なかなか、気の長い話になりそうです。

例外的な「中秋の名月」

明治の改暦のおかげで、日本の年中行事と暦の関係は大分混乱し、今なお治まらない状況ではありますが、そうした中にあって混乱に巻き込まれることのない行事があります。その一つが「中秋の名月」の月見です。 中秋の名月とは八月十五日の夜に昇る満月のこと、「八月十五日」といってもこれは現在の暦の日付けではなくて、旧暦の日付けです。また、「満月」も現在新聞などに「満月」と書かれる満月ではなくて、「伝統的な満月」とでもいうべき旧暦の十五日の夜の月、つまり十五夜の月です。
この伝統的な満月とされる旧暦八月十五日の月を眺める行事が月見です。
中秋の名月を眺める月見行事に関しては、多くの地域の七夕が新暦での日付に移ったように新暦の8/15に行おうとか、お盆のように月遅れの新暦の9/15に行おうだとかという議論は聞いたことがありません。終始一貫して、「旧暦八月十五日」に行われ続けています。なぜでしょう?
答えは簡単、中秋の名月の行事には、
まるいまるい、まんまるい、盆のような月 (唱歌「月」の一節)
が不可欠だからです。
旧暦と呼ばれる暦は新月の日を暦月の始まりとする暦ですから、この暦の十五日の夜の月はいつもほぼ満月。盆のような月が夜空に昇ってくるのです。新暦の8/15や、9/15ではこの「盆のような月が昇る日」という条件を満たせません(たまたまということはありますけれど)。
ちなみに、今年(2018年)で考えると、新暦の8/15,9/15はいずれも、三日月の日から1~2日過ぎたあたり。夕方の早い時間に沈んでしまう細い月では、「観月の宴」というわけにはいきません。月の満ち欠けの周期によって暦月を区切る暦である旧暦は、月の満ち欠けに関係する行事においては、新暦より圧倒的に有利な暦なのです。
こうしたわけで、「中秋の名月」という行事は新暦が使われるようになって150年余りが経過した今も、旧暦の八月十五日に行われており、この件に関してはほとんど異論がないようです。きっとこれからも、月見行事が続く限りは、「旧暦の八月十五日は新暦では何日か」という計算の需要はなくならないことでしょうね。