大寒を過ぎて降る大雪、荒れ模様が夜半に静まり、
明けて快晴の夜明けを迎えたその朝、黄金に輝く富士が姿を現す。
一億五千万kmの彼方より届く陽光は、凛とした厳冬の大気を鋭く貫き、
山頂の雪を紅から黄金に染める。
積雪の中、苦行のごとき深夜の山行。
自分がここに居ることを、何度も自問自答する。
その想いもいつしか夜明けと共に溶け始め、「また来よう!」と心で呟く。
(岳 丸山)

写真・文 : 岳 丸山 Gaku Maruyama

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富士が微笑みかけてくれる瞬間

厳冬期の2月上旬、満を持して高座山に向う。この時期の日の出の時間は午前7時前。現地登山口駐車場に午前5時に到着すれば、一時間半の登坂行程で6時半には撮影ポイントに到着し日の出に間に合う。そう計算し家を出る。

狙うは、新雪を蓄え朝日に輝く厳寒の黄金富士。幾年も待っていたが、思うようなチャンスに巡り会えなかった。積雪がなければ四駆車で10分の登坂距離であるが、膝まで埋まる新雪の中、私の足では最低一時間半みないと間に合わない。駐車場に着くと、既に一台車が止まっていた。同じような狙いでこの時期を待っていたとすれば、かなりのベテランカメラマンに違いない。

スノウブーツに履き替え、機材を担いでゆっくりとした足取りで登坂路に向う。

積雪は30cmを下らない。登るにつれてその深さは徐々に増してきた。スノウブーツがなかなか雪から抜けず手こずり始めた。「しまった!・・」登山靴にアイゼンを付けた方が足元も軽くなり、楽にラッセルで出来たかも知れない。平地で積雪時の撮影は何度も経験があるが、雪山登山での撮影は初めてであった。先達の残した踏み跡を頼りに坂道を登る。ヘッドライトの灯が、雪の結晶に反射して鋭く目に突き刺さる。その眩しさは、まるで針かナイフのような鋭利な突起物で目を刺されたかのようである。思わず痛みを感じる錯覚に陥った。

坂が急になり始めた。ブーツが雪滑りしてなかなか距離を稼げない。一歩で20cm進めば上出来である。10m進むのに5分以上かかる。息も絶え絶えになり、酸欠状態のため何度も欠伸をする。休みを頻繁にとらなければ苦しくて前に進めない。喉が渇き始めた。その時、日の出の時間ばかりに気をとられ、水を持ってくるのを忘れた事に気付く。仕方なく雪を食べてみた。いくら食べても喉の渇きはまったく癒されない。不思議なくらい潤わないのである。いつかテレビで見た山岳番組の実験で、バケツ一杯の雪を沸かして取れる水の量が、コップ半分にも満たないと放送していたことを思い出した。私は雪を食べるのを諦めた、無駄な抵抗であった。

気の遠くなる程ゆっくりと、急な雪道を登って行くと、やがて平地に出た。それでも進む速度はあまり変わらない。唯々無心で繰り返し雪を踏んだ。まるで修行僧の苦行のように。

登山を開始して約一時間、間も無く撮影ポイントに到着する頃、空が白け始めた。「なんとか間に合ったようだ!」既に先達は三脚を立て、撮影の準備を終えていた。挨拶をしたが、返事はなかった、思ったより若かった。富士山に目を向けると、山頂から吉田大沢、北富士演習場にと、綺麗に深雪が積もっている。周囲の山林の木々に宿る積雪も、まだ落ちずに残っている。豊かな新雪が降った翌朝だけに見ることの出来る絶景である。「来てよかった!」富士が微笑みかけてくれる瞬間に巡り会えた度、何度も味わった感覚である。

正直、降雪直後の闇夜の登山の大変さは想像していた。
経験をいくら積んでも、ハードな撮影に挑む前の気分は何とも重苦しいものである。しかし、運良く狙った光景に出会えると、その素晴らしさは想像を遥かに越え、何倍、何十倍になることが多い。今回も例に漏れず、富士はそれを証明してくれた。

写真・文: 岳 丸山 Gaku Maruyama

静岡県在住。総合商社に勤務するも持病の心臓病が悪化した為、2003年退職。二度目の手術を受け奇跡的に生還。術後リハビリを兼ね富士山撮影を開始する。2007年から、写真による医療機関での福祉活動を目的として活動していたが、2020年2月、再び病に倒れて帰らぬ人となる。