暦には日・月・年という三つの単位があります。当たり前に使っているこの三つの単位について、今回はその成り立ちに遡って考えてみたいと思います。

「日」とは

まず始めに「日」という単位について考えてみます。おそらく人間が最初に時の流れを示すために考えついた長さの単位は「日」であったでしょう。

1日は昼夜が一巡りする長さといえます。昼夜の繰り返しは地球の自転による太陽の日周運動が生み出すものですが、地球が自転していることなど想像も出来なかった昔から、朝目覚め、夜に眠り、再び目覚めるという生活の基本周期として、御先祖様達はこの「日」という時の単位を受け入れていたことでしょう。

ちなみに「暦(コヨミ)」は「日(カ)ヨミ」がその語源だとする説が有力です。「カヨミ」の「ヨミ」とは、古代の日本語では時を数えるとか、計測するという特別な意味をもっていたと考えられています。つまり暦とは1日また1日と繰り返される「日」を数え、記録したものがその始まりだったと考えられるのです。

「年」とは

「日」の説明の後は「月」の説明となりそうなところですが、ここでは先に「年」について考えて見ることにします。

1年は地球の公転運動が元となって起こる季節の変化が一巡りする長さといえます。地球上のほとんどの植物、動物はこの1年という周期をその身に刻み、この周期に従って生きています。そうした植物、動物に囲まれて生きる私達人間もまた然り。狩猟も農耕も1年の周期を無視しては行えません。私達の御先祖様達がどのように1年を捉えていたかは「年」という文字そのものの成り立ちが教えてくれます。

年の文字は

「禾」+「千」 または 「禾」+「人」

という二つの文字が上下に組み合わされたものです(「千」は古音字では「人」と同じで「禾」+「千」でも「禾」+「人」でもその意味するところは同じものだと扱われたようです)。

「禾(のぎ)」は、稲や麦などの実の先にトゲトゲしたノギのある穀物を表わしますので、「禾」+「千」の組み合わせは穀物の実が多数積み上げられる様子、つまり収穫を表しています。

御先祖様達はこの穀物の収穫の様子を表す「年」という文字を、1年という時の区切りを表す文字として用いました。つまり、収穫と収穫の間隔が「1年」だと考えたのです。1年間の苦労の結果が収穫ですから、収穫を表す「年」の文字を1年という周期を表す文字とした御先祖様達の気持ちはよく判ります。

「月」とは

さて、最後に登場するのは一度飛ばしてしまった「月」の話です。

既に見てきたとおり、「日」や「年」は人間も含めたほとんど全ての生き物の活動の基本の周期となっています。この二つ周期を生み出す元となっているものは何かといえば、それは太陽です。昼夜の変化も季節の変化も、どちらも太陽の動きがその元になります。これに対して、「月」という単位は太陽とのつながりがありません。では、この周期の元になるものは何かといえば、それは太陰です。

「太陰とはなんぞや?」

そう思った方も多いと思いますが、何のことはない、お月様のことです。

お日様 = 太陽

お月様 = 太陰

と書くと解りやすいでしょうか。

暦の世界では、太陽暦とか太陰暦、あるいは太陰太陽暦等という言葉が沢山登場しますから、暦の話では今後も「太陰」という言葉は度々登場しますので、その場合は「ああ、お月様のことか」と思って下さい。

さて、この太陰(月)ですが、太陽が生み出す昼夜の変化や季節の変化のような生活に直接影響するような、何かの変化を生み出さないかと考えてみましたが見つかりません。では、なぜ「月」という単位が生まれたのでしょうか。私は時の流れを手頃な長さにまとめるための便利な道具として「月」という単位が生まれたのだと考えています。

太陰(月)の特徴としてまず思い浮かぶのは、ほぼ一定の周期(約29.53日)で満ち欠けを繰り返すということです。満ち欠けするからといって、それが人の生活に大きな影響を与えるというわけではありませんが、目立つ現象であることには間違いありません。世界各地の遺跡から月の満ち欠けと関係すると思われる29~30の印が刻まれた動物の骨などの遺物が発見されています(古いものは1万年以上も前のもの)。この印を刻まれた動物の骨はもしかすると原始的な暦だったのかもしれません。

暦は「日ヨミ」だと書きました。確かに1日1日と日を数え、365日を数えれば1年となりますが、365という日数を毎回間違いなく数えるのはなかなか大変です。出来たらもう少し小分けにまとめる仕組みがあれば便利です。

こう考えたときに太陰の満ち欠けの周期(ここれを「朔望(さくぼう)周期」といいます)は、日数をまとめるための便利な道具と映ったでしょう。その上、太陰の満ち欠けの周期は、その形の変化だけでも解りますから、その点でも便利です。御先祖様達はこの便利な月の満ち欠けの周期を利用して、1年を手頃な長さに分割して数えることを覚えたのでしょう。

そういえば、日本の記紀神話に登場する月の神の名前は「月読命」(「ツキヨミ」または「ツクヨミ」)。「ヨミ」は「コヨミ」の語源で説明したとおり、時を数えるという特別な意味で使われる言葉。「ツキ」と「ヨミ」が組み合わされた「ツキヨミ」という名が月の神につけられたことに、月と暦との強い結びつきを感じるのは私だけではないでしょう。

日・月・年と暦

長い歴史の中で人間は様々な暦を作ってきましたが、どの暦も多かれ少なかれ、太陽と太陰の作り出す日・月・年という単位と関わりながら作られ、発展して来ました。日・月・年という時の長さの単位は暦の話をする上では、避けては通れないものなので、今回は私の推測も交えつつ、それぞれの単位が生まれるまでを書いてみました。この三つの単位と暦との関わりについては、まだまだ書くべきことがありますが、話が大分長くなりましたので、それはまたいつか。

月は東に日は西に

これまでは暦の上に見る時の長さの単位の月と日の話を書いて来ましたが、ここでの月と日はお月様とお日様です。与謝蕪村に 菜の花や 月は東に 日は西に
という句があります。詠まれたのは安永三(1774)年三月二十三日。もちろん旧暦での日付です。新暦に直せば5月の初め頃となります。

暦と日・月・年」の話では月の周期は生活に影響を与えるようなものがないと、まるで月が取るに足らないもののような失礼な書き方をしてしまいましたが、日常の生活に影響は与えなくとも月は取るに足らないものではありません。時には明るい太陽以上に私達の印象に残るのが月です。 夕暮れ迫る菜の花畑。見れば東の空には地平線から昇ったばかりの大きな月。そして西の空には、今まさに沈もうとする太陽。広々とした空間と色彩に溢れた春の情景が浮かびます。西には太陽、東には月と、暦にとって無くてはならない日・月・年を生み出した二つの天体が互いを邪魔することなく、風景の中に溶け込んでいます。
満月の時期には月と太陽は180°離れた位置に見えますから、この句のように夕暮れ時には昇る月と沈む太陽が同時に見える日が1月の間に1度はあるはずですが、月に空に昇ったことにさえ気づかないような生活を送っていると、こんな当たり前のことさえも忘れがちです。たまには足を止めて、空に月を探すような余裕は持ち続けたいものです。

最後に謎かけを一つ。 採り上げた蕪村の句ですが、眼前にこの風景を眺めながら詠んだものではなさそうです。なぜなら句を詠んだ日に、この句の風景が見えたはずがないからです。お気づきになりましたか? ヒントは、句の詠まれた日の日付です。