月の満ち欠けによって日を数え、太陽の動きから四季の変化を表す二十四節気と季節の巡りをわかりやすく解説します。

立春正月と節分

現在ではすっかり日常生活の基準として定着している新暦ですが、素朴な季節の循環の感覚や伝統行事などを考える時には、どうもしっくりこないと感じられる部分があります。例えば年明けに踊る「新春」の文字は、そうした違和感を覚えさせるものの一つではないでしょうか。

現在の年明けの時期は、これから本格的な冬に向かう時期で、いくら何でも「新春」というのは気が早すぎます。なぜこの様なことになってしまったのかといえば、それは明治6年に行われた改暦によって、それまではほぼ一致していた一年の始まりの時期と春の始まりの時期にずれが生じてしまったためです。

立春正月という暦

現在私達が用いている暦、いわゆる新暦は一年の初めが冬至の時期の近くにある暦です。これに対して明治5年まで千年以上使われ続けてきた暦、いわゆる旧暦は「立春正月」といわれる暦でした。立春正月という暦とは、二十四節気の立春付近に年の初めを置く暦という意味です。

立春は「春立つ」、つまり春の始まりの意味です。ただし、旧暦が立春正月の暦というのは平均化した場合に成り立つ話であって、個々の年を見て行くと旧暦の年初は必ずしも立春と一致するものではなく、立春の前後半月の範囲で変動します。あくまでも平均の話ですから、「旧暦の一年は必ず立春に始まるんだ」といった誤解はなさらないように。

さて、平均の話とはいえ旧暦という暦は春という季節の始まりの時期を示す立春付近を年初とする暦ですから

『一年の初め ≒ 新春(新たな春の初め)』

という考えが定着しました。ですから、年明けを「新春」であるとか「迎春」という言葉で祝ったのです。

実のところ、中国で生まれた太陰太陽暦は必ず年初が立春付近にあると決まった暦ではありません。立春とは違った時期に年初を置いた時代もあったのです。現在のように立春正月の暦という考えが定着したのは、漢(前漢)の武帝の時代で今から二千年以上も昔のことです。それ以後はごく短い中断はあったものの、立春正月の暦が使い続けられてきたことから、『年の初め≒新春』という構図が成り立つようになったのです。

日本は、この立春正月の考えが定着した後の中国の暦を学んだので、日本で使われた旧暦の暦は全て立春正月の考え方に沿った暦でした。

立春と節分

立春といえばその前日は「節分」。

節分といえば「鬼は外、福は内」の声とともに行われる豆撒きや、近頃は全国に拡がった感のある恵方巻きなどの行事が思い浮かびます。「節分とは立春の前日のこと」などと立春を基準にして節分を説明しますが、立春自体にはこれといった行事が無いこともあって、存在感という点では節分の方が圧倒している感じです。

この立春よりも目立つ「節分」は、本来は年に4回あることをご存じですか? 二十四節気には立春の他に、立夏・立秋・立冬とそれぞれの季節の始まりを示す日が有り、その前日は本来全てが「節分」なのです。

「節分」は「季節を分ける」を意味する言葉です。立春前日の節分の日であれば冬と春を分ける日となります。節分の日は、翌日に訪れる新しい季節を迎えるための日でした。現在でも節分の夜に行われる豆撒きや、鰯の頭を串に刺し、焼きこがして戸口に刺す焼嗅(やいかがし)は、春の訪れを妨げる力を除いて春を迎えるための呪いの一種なのです。

これと同様な行事が立夏、立秋、立冬の前の節分にもそれぞれあったはずですが、残念ながらそうした行事は廃れてしまって、現在は立春前の節分のみが「節分」として残っています。

節分と年越し

元々立春前の節分は新しい春を迎えるための行事だったのですが、立春正月という考え方の暦を使い続けるうちに、もう一つの意味が加わりました。それは、年越し行事という意味です。

既に説明したとおり、立春正月の暦が使い続けられるうちにいつしか『年の初め≒新春』という図式が成り立つようになると、節分の夜に行われる春迎えの行事は、新年を迎える行事と同一視されるようになりました。立春が年の初めだとすれば節分の日は大晦日にあたると考えたわけです。こうなると本来は別々の行事であった節分の行事と年迎えの行事が混同され、混じり合って次第に一つの行事のようになってしまいました。その一例が「鬼は外、福は内」の豆撒きです。

大晦日に行われた年迎え行事の一つに、旧年の穢れに見立てた鬼を追い払い、清浄にして新年を迎えるための追儺(ついな)とか、鬼遣らい(おにやらい)という行事がありました。節分の夜に行われた春迎えの豆撒きに、いつしかこの追儺の鬼追い行事が取りこまれ、豆を打って鬼を追い払うという現在の豆撒き行事が出来たと考えられます。

最近流行(?)の恵方巻きにしても、その内容は新しい年に恵方と呼ばれる吉方位から到来する歳徳神(としとくじん)を迎え、福を呼び込むという行事で、節分行事というよりは年迎えの行事と考えた方が分かりやすい内容です。これもまた節分の日を年越しの日と見なした行事だといえるでしょう。

現代の「節分と年越し」

あくまでも平均の話とはいえ、立春正月の暦が使われていた時代には、節分の日と大晦日は一致する年がありました。また、ずれたとしてもそのずれは最大で半月程度でしたから、性格の似ていた節分の春迎えの行事と大晦日の年迎え行事が混ざり合っても不思議ではありませんでした。しかし、現在のように新暦で新年を祝うことが当たり前になってくると、節分の日と大晦日は決して交わることはなく、一月以上隔たった別々の日となります。その結果、立春正月の暦の時代に春迎えと年迎えの行事が混じり合って生まれた節分行事は、年越しとは切り離されて節分の日だけの行事だと考えられるようになりつつあるようです。そのうちに、

「なぜ節分に鬼を追うのだろう?」

「なぜ恵方巻を食べるのだろう?」

と、悩む時代がやって来るかもしれません。年中行事も使われる暦によってその姿を変えて行くということです。節分の夜に豆を投げつけられる鬼たちが遠い昔を覚えていたら、大晦日でもないのに、なぜ追われるのかと不思議に思うのではないでしょうか。