2013年6月22日、第37回世界遺産委員会で、静岡県と山梨県にまたがる日本最高峰の富士山は、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」(Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration)という名称で、世界文化遺産に正式に登録された。
独立峰で整った優美な形だからこそ、信仰や芸術に影響を与え、日本を象徴する山になったのだろう。しかし周辺の農民にとっては生活に密着した、日常の風景の一部である身近な山でもあった。
写真・文 : 青柳健二 Kenji Aoyagi
豊かな水が織りなす生命の循環
毎年5月は田に水が引き入れられ、田植えが始まる時期である。
山中湖などの湖面に映る「逆さ富士」は有名だが、田んぼに映る「逆さ富士」は、5月から6月にかけての田植え前後の時期にしか見ることはできない。田植え後2週間もたてば成長した稲で水面がだんだん隠れていくので、水に映った富士山も見えなくなってくるからだ。
富士山の東側、静岡県御殿場市の古沢も棚田が広がる地区のひとつである。
ちょうどその日、除草剤をまいている農家の女性がいた。稲が植えられたばかりの田んぼの水には「逆さ富士山」が映り、女性の動きに合わせて波紋が広がっていく。
仕事の手を休めて、彼女は「ここは自慢の風景ですよ」という。真正面に富士山を見る棚田は開放的で、彼女が胸を張って自慢するのも納得できる。
しばらくすると、小さな傘のような雲が頂上付近に沸いて、3分後には消えた。
「あんな雲を見るのは珍しいですね」
富士山は聖なる信仰の山であると同時に、ふもとの人々にとっては身近な山で、毎日見ているのでその微妙な変化にも敏感なようだ。
昔は、春には富士山に現れる残雪の模様「雪形」を見て農作業を始めるという「自然暦」の役目も持っていた。
富士山北麓では、鳥が羽ばたく姿の「農鳥」と呼ばれる雪形が見えた。また葛飾北斎が「富嶽百景」の「甲斐の不二 濃男」に「農男」と呼ばれる農作業をする人の姿の雪形を描いている。
現在は、カレンダーもあるし、温暖化の影響なのか、雪形が変わってしまったらしく、残念ながら富士山が「自然歴」として機能しているとは言えなくなった。
しかし、富士山は依然として農業にとっては大切な山なのである。富士山を一周するように豊富な水を利用して多くの田んぼや畑が点在する。この富士山からの水がなければ農業ができなかった。農業ができなければ、ここに人間が住むこともなかった。
どうして日本人は富士山を水に映して鑑賞する「逆さ富士」を好むのだろうか。
日本には「田毎の月」という言葉もある。田毎の水に月が映る姿を愛でる風習である。「月見」の慣習自体は中国から入ってきたが、平安時代頃から貴族の間では、月を直接見ることをせず、杯や池に映して楽しんだという。水に映して間接的に見ることに価値があったようである。
日本人は、田んぼそれぞれ、ひとつひとつが全世界であり、全宇宙であるという自然観を抱いているように感じる。小さな1枚の田んぼでも、そこに植物や小動物たちが生きて、死んでいく。稲作は2千回も繰り返され、毎年同じように稲が収穫できることが最大の喜びだった。その繰り返し、循環を支えているのが水である。だから水が豊富であることが、農業をやる上では豊かさにもつながっているのだ。「逆さ富士」や「田毎の月」は水の大切さを象徴しているのではないだろうか。
富士山が世界の「文化遺産」なら、先祖代々、農民が自然と共にこつこつと作り上げてきた棚田もまたりっぱな「文化遺産」である。「富士山」と「棚田」の競演こそ、瑞穂の国、日本的な風景と言えるかもしれない。