月の満ち欠けによって日を数え、太陽の動きから四季の変化を表す二十四節気と季節の巡りをわかりやすく解説します。

七草

秋の野に咲きたる花を指(および)折り かき数ふれば七種(ななくさ)の花
萩の花尾花葛花瞿麦(をばなくずばななでしこ)の花 女郎花(をみなえし)また藤袴朝貌(あさがほ)の花

─万葉集第八(一五三七、一五三八) 山上憶良

「春秋の争い(しゅんじゅうのあらそい)」という言葉があります。

春山の万花の艶と秋山の千葉の彩のいずれの美しさが優るかを論ずるという意味の言葉です。この言葉の意味を見ると、春は花、秋は紅葉がそれぞれの季節の美の代表とされているようです。

確かに秋の紅葉は美しい。しかし、秋に美しいのは紅葉ばかりではありません。秋は春にも負けないほど、多くの花が咲く季節でもあります。

秋を彩る花の中から代表的なものをいくつか選ぶとしたら、皆さんならどんな花を選ぶでしょうか。菊に竜胆、桔梗に吾亦紅、紫苑に薊、彼岸花・・・並べてみると沢山ありすぎてなかなか定まりません。そんな「決めきれない人」を救ってくれるのが、憶良の詠んだ秋の七草の歌かもしれません。

冒頭に掲げた憶良の有名な秋の七草の歌は万葉集巻八、秋雑歌(あきのぞうか)に納められたものです。改めて数え上げられた七つの花を思い浮かべてみると、なるほど秋らしい花が並んでいます。その秋らしい七つの花が、五七七 五七七の調子で読み込まれていて、とても覚えやすい。この歌が有名になり、人々に愛され続けたおかげで、秋の花と言えば、この七種の花と考えられるようになり、秋の七草が固定化したようです。

春と秋の七草

七草といえば、秋だけではありません。春にもあります。春にもあるというより、春の七草の方が有名ですね。春の七草は何かといえば、芹薺(なずな) 御形(ごぎょう) 繁縷(はこべら) 仏座(ほとけのざ) 菘(すずな) 蘿蔔(すずしろ)以上の七種。

そして春の七草といえば、人日(じんじつ)の節供にいただく七種粥を思い出します。

七種粥が有名なため、「人日の節供」はその本来の名前より、「七草の節供」という異称の方がよく知られています。粥にして食べるわけですから、春の七草(七種)は食用になるものばかりです。

もちろん春の七草だって花を咲かせますが、七草の節供の時期を考えても、その花の見た目から考えても観賞用というよりは、やはり食用の植物と考えた方がよさそうです。

その点、秋の七草は「秋の野に咲きたる花を・・・七種の花」とあるとおりで、始めから鑑賞目的。同じ七草(七種)でも春と秋とでは大分趣が違っていますね。食用と観賞用、どちらお好み? その判断はおまかせします。

秋の七草と七夕の節供

万葉集の秋雑歌には、秋の七草の歌の少し前にこれも山上憶良による七夕の歌十二首が収められています。そして、七草の歌の後にも七夕の歌が続いています。どうやら七草の歌は七夕について詠われた一連の歌の一部のようです。

七夕は七月七日の行事、秋の七草とでは季節が違うように思われるかもしれませんが、七草の歌が詠われた時代の暦では、秋は七~九月と考えられていましたから、七月は初秋の扱いです。季節感を知るために当時の七月七日を私達の慣れ親しんだ現在の暦(新暦)の日付に置き換えてみると、大体八月上旬から下旬頃にあたります。まだ暑い季節ではありますが、朝夕には涼しい秋風も吹き、気の早いものなら秋の花も咲き出していることでしょう。

季節の節目となる節供には季節の草花を供えて祭りをします。

七夕の節供もしかり。旧暦の時代は秋の初めの節供だった七夕にはどんな草花が供えられたのでしょうか。もしかすると七草の歌は、七夕の節供に供えるに相応しいと憶良が考え、選んだ季節の花の歌なのかもしれません。そう考えれば秋の七草の歌が一連の七夕の歌の間に詠われていることにも納得がいきます。

現在の暦の七月七日は秋どころか夏も本格化する前ですから、現在の暦の季節感に慣れてしまうと秋の七草と七夕の節供を結びつけて考えるのは難しいです。かく言う私も、七夕というと、ついつい梅雨の頃の天気を思い浮かべてしまいます。昔のこと、伝統行事の成り立ちなどを考える時には、その時代の暦でものを考えるのを忘れてはいけませんね。

今年(2017年)の旧暦の七月七日は新暦では八月二十八日。その時分に秋の七草は咲いていたかな? 思い出そうにも七草の咲いていそうな野原が身近にみつかりません。新旧の暦の日付による季節の違いもさることながら、人間と草花との関係も大きく変わってきています。旧暦の季節感を思い出せないどころか、秋の七草の花の姿を一つも思い出せない、そんな時代は来て欲しくないですね。